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TomGの過去日記


ここでは、2001年11月から2003年3月までの日記を公開しています。
2003年4月1日からの日記は、Mixiで書いています。
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2003年03月31日(月)
明日からはいよいよ社会人

 明日から社会人。
どんなに恐れてみても、どんなに不安に思ってみてもこの事実は変えようがない。
ここ東京の町に引っ越してきてから、この日が来ることは分かっていたし、今までもけっこう意識していたものだ。
というか、この日のために俺は筑波から東京に出てきた。去年の1月頃からがんばった就職活動だって、この日を迎えるためにやってきたことなのだ。
しかし、本当にこんなに早く東京での最後の夏休みが終わってしまった。
それにしても、早めに東京に引っ越してきて本当に良かった。もし昨日とかおとといなんかが引っ越しの日だったら、俺はもっと不安な気持ちで今日を迎えることになっていただろう。
さあて、今日は何をして過ごそうかと朝起きて考えたのだが、もしかすると準備や何かで忙しいと思っていたせいで、今日の日程は全く入れていなかった。
ピヨマルが遊びに来るかという話しもあったのだが、明日入社式ということで、準備することでもあるかと思い、前もって断っていた。
けれど、いざ今日の日を迎えてみると、全く何もやることが決まっていないことに今更気が付いたのである。
とりあえず、昨日インストールしたパソコンを午前中に送らなければならなかったので、宅急便屋さんが来るまでは遊びに行くわけにはいかない。
そこでいつものようにパソコンを付けてチャットをしていると、おととい引っ越したばかりのMelodyさんが、ネットにつながったらしく、メッセンジャーにサインインしてきた。
早速話しかけていろいろとしゃべっていると、新居に遊びに来ないかという話になった。
もちろん一人で家にいるのはいやなので、早速午後から遊びに行くことにした。
ところが、いくら待っても宅急便屋がやってこない。今日の時間はいつもに比べてとても貴重なのに、こんな時に限って全くしょうがない話だ。
そこで猫に電話して、早く来てくれるように頼んだので、12字ちょっと過ぎに家を出ることができた。
その後銀行で金をおろして、友達の済んでいる家の近くの液まででかけた。
この方面の電車に乗るのは初めてだったので、もしかすると途中で迷うかと思ったのだが、案外すんなりと友達と会うことができた。
それから家について、ADSLの調子がおかしいので、それをちょっと調整した後、池袋まで遊びに行くことにした。
 ロッテリアに入って飯を食ってから、100円ショップで時間をつぶしていると、金槌とか、のこぎりまで売っていてかなりカルチャーショックを受けた。
ともかくどれを買っても100円なので、この店は人に手伝ってもらわなくてもほとんど俺たちだけで買い物ができるのがとても楽しくて、2時間ぐらい店の中を回ってしまっていた。
それでもお会計は1260円。本当に都会というところは便利な暮らしを送れるものだ。
その後はビッグP館に行って、ケーブルをまとめるアクセサリを買った後、また友達の家に戻ってコーヒーをいただいてから、9時頃に家に戻ってきた。
 そんなわけで俺の学生最後の日は、これまでと何ら変わらない、というかその辺をふらついて終わってしまったというお話でした。
でも、はっきり言って今日は近くに友達がいてくれたおかげで非常に助かった。明日からの期待と不安を抱えたこんな気持ちで、1日中ひとりぼっち、暇な日を過ごすのはとてもつらいはずだ。本当に友達というのはありがたい。
 明日は6時に起きて、7時に家を出て8時に会社に着くつもりでいる。
本当は8時45分集合なのだが、45分の余裕を持っておくことで、ゆったりとした気持ちで最初の日を迎えたいからだ。
それじゃなくてもこの前親が来たとき以来、会社に一人で行っていないのだから。
 これからの社会人生活、どんな生活だろうな。
或意味期待と不安が入り交じった、とても複雑な気分である。



2003年03月30日(日)
JAWSのスクリプト作成

 今日というか昨日の夜は、かなり夜遅くまでJAWSのスクリプトで遊んでいた。
俺はこのJAWSのスクリプトというのは、相当難しくてちょっとやそっとでは手が出せないと思っていたのだが、よくマニュアルを読んで確認しtめいると、そんなに思っていたほど難しいものではなかった。
たとえば、自分の知りたい情報がウインドーのどのあたりにあるか調べてさえあげれば、キー操作一つでその情報を確認できる。
そこで、せっかく勉強した野だからということで、FFFTPの下の方に「接続しました」とか「ファイル一覧の取得は正常終了しました」などの情報が表示されるのを、一発で読み上げるスクリプトを作成した。
本当は自動的に読み上げるようにしたかったのだが、あまりにも眠かったのでこの後にマニュアルを読み進める気力がわかなかった。
ただし、これだけではちょっとつまらなかったので、アップロードやダウンロードのダイアログで、状況メッセージを読み上げるスクリプトと、処理中のファイル名を読み上げるスクリプトを作って寝ることにした。
それにしても本当にこのJAWSのスクリプトを勉強すると、今まで全く手が出なかったアプリケーションでも、ほとんどの場合自力で操作できるようになると思う。
グラフィックで表示されていて訳の分からないエディットボックスなどは、昨日の日記でご紹介したプロンプト機能を使って自分の好きなように読み上げさせることができるし、スクリプトを使えば画面上のテキストのほとんどを読み上げてくれる。
何度もいうが、日本語へのローカライズがへたくそなだけで、こいつは相当使えるスクリーンリーダーだと思う。
 さて、こんなことばかりやっていると5字近くなってしまっていたので、今日の朝は10時頃宅急便や三に起こされる結果になった。
この後BLPCのメンバーが来ることになっていたから、そのときに使うスキャナを送ってきたのである。
10字50分頃、早速そいつら二人から「駅到着」の連絡があったのだが、いったい何処にいるのか分からなかったので、「警察と消防を目印に来て」といって、何とか探してもらうことができた。
お昼前まではコーヒーを飲みながらおしゃべりしていたのだが、午後からはひたすらパソコンのインストール作業だった。
どうやらそいつは、中古のパソコンを手に入れたらしく、それを今日の午後中に使えるようにしなければならなかった。
とりあえずいつものようにスタートアップからいらないものをひたすら削除して、何気なくドライブの状態を見てみると、なんだかCドライブフォーマットがFAT16になっている。しかももちろん要領は2GBしか無い。
その上、Dドライブの方には4GB割り当てられているという、思いっきり現実無視の状態になっていた。
基本的に起動ドライブの空き容量が少ないと、ろくなことは無いので、パーティションマジックで結合処理した後、デフラグを書けて、一緒に来ていたそいつの友達とコンビニに飲み物を買いに行ってきた。
帰りがけに「ケーキが食いたい」という話になって、不二家を探したのだが、何処にもないのでいつもいっているスーパーのケーキを買って帰ってきた。
その後、スキャナの設定とメールのアカウント設定をすませ、パソコンを送るために梱包してから気が付いた
「やばい、メッセンジャーのインストールやってねぇ」
しかし、また梱包をやり直すのの方が面倒だったので、後で電話で指示して自分でやってもらうことにした。
 そのうち8時頃になったので、3人で飯を食って、途中で二人は帰っていった。
ちなみに今回は初めて「松屋」で飯を食った。
俺は今まで、こんな近くに松屋があるなんて知らなかったので、今日はこれだけでもかなりお得な漢字である。



2003年03月29日(土)
ついにJAWSを買う

 今日は重要な荷物が午前中に到着することになっていた。
一つはこの前注文しておいた防音マット、そしてもう一つがメインのJAWSというスクリーンリーダーだ。
このスクリーンリーダーは先月28日にIBMから発売になったもので、予想以上に売れ行きが良く、2週間以上も前に注文してやっと今日届いたのだった。
さて、そんなわけでワクワクしながら届いたパッケージを開封してみると、なんとこいつ、値段の割にあまりにもパッケージが貧弱すぎる。
コピーを防止するためのライセンスディスケットは、単にビニール袋の中に入っているだけだし、CDの方は紙の袋の中にぽろっと入っているだけなのだ。
しかももっと気にくわないのは、このパッケージに付いているトレーニングテープだ。前のバージョンでは6本ぐらいのトレーニングテープが付属してきたのに、このバージョンからは1本しかテープが入っていない。
これでお値段は15万円もするのだから、IBMも相当もおけているような気がする。
JAWSは世界的にも有名なスクリーンリーダーだ。このスクリーンリーダーを使っている外国の人に話を聞いてみると、CDROMとライセンスディスクが一緒にしまっておける専用のケースが付いているという。
 まぁ、パッケージよりも中身の問題なので、早速CDを開封してインストールしてみた。
最初の頃はいろいろな機能を試していて、今まで読めなかったアプリケーションがかなり読めるので「すげぇ」と思うことばかりだったのだが、2時間ぐらい使っていると、いろいろとおかしいところを発見した。
たとえば、インターネットエクスプローラで本来なら「Ctrl+数字キー」で対応する番号のフレームに移動できるはずなのに、なぜかこのショートカットキーが動作しない。
また、Windowsメッセンジャーで、前のメッセージを読み上げたりするときのショートカットキーが、日本のキーボードには存在しないキー割り当てになっている。
具体的なくせ者は「グラーブ」キーだ。日本語キーボードの全角半角キーに当たる部分に付いている裸子のだが、日本では存在しないのだからこれ使える方がおかしい。
また、タイピングメッセージといって「○○がメッセージを入力しています」というのも本来なら自動的に読み上げるはずなのだが、なぜかこれも正常に動作してくれない。
この二つだけだと思ったら大間違いで、もう一つとても気に入らない部分がある。
それは「漢字の詳細読み」だ。たとえば「沼」という漢字の詳細読みは、普通であれば「池沼の沼」などと読み上げるはずなのだが、
「泥沼の沼」などと、聞いていて笑ってしまうような読み上げ方をしてくれる。
また、藤の花の「藤」という字は、
「心理的葛藤の(とう)」
と読み上げてくれる。こんなものではとても使えるはずがない。
これは熟語読みと呼ばれる読み方にJAWSを設定したときの読み方で、もう一つの例文読みに設定すると、これもこれで非常に変なことを行ってくれる。
全くIBMも相当はローカライズした後、ちゃんと社内で国語の分かる人間がテストをやっているのだろうか。
また、対応しているすべてのアプリケーションで、ホットキーの調査をちゃんとやっているのだろうか。JAWS
3.7の時もいろいろとトラブルが会ったと聞いているが、これでは本当にしょうがない。
ちなみにもう一つ余計なことを言わせてもらうのなら、トレーニングテープが格好悪い。
 さて、ここまでJAWSの悪口ばかり書いてきたが、ローカライズこそいい加減なスクリーンリーダーだが、元をただせば世界1有名なスクリーンリーダーだ。だから言語に関係のない部分の読み上げは本当にすばらしい。
インターネットエクスプローラでは、フォントサイズから乱しレベルまで読み上げるし、前の見出しや次の見出しにジャンプする機能もとても充実している。
また、ページの中に表があったりした場合、その中を自由に動き回りながら読み上げるコマンドも充実している。こういうところを見ていると、さすが世界1有名なスクリーンリーダーになるのも納得だ。
もっとすごいのは、今まではタブキーを押しても「のエディット」などといって、何を入力したらいいか分からない項目ばかりのアプリケーションはほとんど使い物にならなかったが、今回のものからは、こういった正しく読み上げないようなコントロールがあったとき、そこにフォーカスが当たった場合に読み上げる文字列を自由に設定できるのだ。
たとえば本当は「検索文字列のエディットボックス」なのに、「のエディット」などと正しく読み上げないところにフォーカスを当て、Insert+Ctrl+Tabを押すと、設定画面が出るので、それを使って「検索文字列」などと入力すると、正しく読み上げるようになるという仕組みだ。
この機能は4.5からの機能らしいのだが、これがあるのと無いのとでは雲泥の差だと思う。

 次に今日届いたもう一つのもの、防音マットについてちょっと書いてみたい。
早速ベッドの横の壁のところに立てかけてみたのだが、なかなか効果がありそうだ。
今のところ1枚を壁のとkろに建てかけ、枕の上のところに2枚を立てかけているのだが、もう1枚買ってきて壁のところを2重にすると、もっと効果が出るのではないかと思う。

 そんなわけで今日は、ほとんどJAWSのインストールと使い方のマスターで1日が終わってしまった。



2003年03月28日(金)
野菜は1個ずつバラで売れ

 一人暮らしをしているといろいろと不便なことや切なくなることが山ほど或。
その一つに「飯」があるわけだが、今日はピヨマルがカレーを作ってくれるというので、材料を買いに行ってきた。
これは今に始まったことではないのだが、どうして今時のスーパーって言うのは、材料を小分けにして売っていないのだろうか。
にんじんは最低のパックを買ってきても5本入っているし、ジャガイモだって5個入り、タマネギに至っては3個入りだったりする。
筑波で生活していた頃だって、なにをか王としても自分一人で使い切れる寮を買うことができず、何度野菜を無駄にしたり人にあげてしまったことか分からない。
得に面倒くさがり屋な俺のこと、材料だけを残しておいても、自分で使うと言うことはほとんど考えられないから、今日も同じ状況だ。
彼女がいた頃はほとんど毎日のように何かしら作ってもらっていたので、おそらく二人暮らしになるとそんなに問題はないのだろう。
一人暮らしの男の中でも、ちゃんと毎日のように飯を作って食っている奴はいるだろうが、最近の若者はおそらくそうではないような気がする。
俺と同じように一人暮らしをしている人って、いったい何を食っているのだろうか。
俺だってたまには何か自分で作ってみようと思わないこともない。しかし、そんなことを思っても、1回だけしかも小さな鍋でカレーを作れるような小分けの材料など売っていない。
今日買ってきたものの中でもっとも豪快だったのは250グラム入りの豚肉だった。
こればっかりは明日で賞味期限が切れてしまう特売品だったので、無理矢理全部使うことにした。するとどうなるか。ただでさえ鍋が小さいので、作ることのできるカレーの寮もそんなに多くないため、野菜の寮を減らして肉を入れた。
そんなわけで思い切り豪快にカレーライスではなくて「肉、カレー丼」のような代物が完成した。
でも、やっぱりその辺に売っている弁当などよりも、手作りのカレーライスは非常にうまかった。
 今日は午前中からBLPCの郵便講座を作ると言うことで、ピヨマルが10字反語路に現れた。
Mogumoguさんも同じような時間に来てもらうはずだったのだが、どうも彼は寝坊したらしく、12字を20分ほど過ぎた後に現れた。
そこで早速いつものラーメン屋に行って飯をすませた後、郵便局に行って団体名義で通帳を作ってきた。
郵便局で団体名義の通帳を作るためには、会員規約と会員名簿、代表者の身分証明書と印鑑が必要になる。
実は銀行では、任意団体の名前では口座開設ができないので、今までかなり困っていたのだが、郵便局に規約を持っていって話をすると、いとも簡単にBLPC名義の口座が開設できた。
「いとも簡単に」というのは、手続き上簡単だという意味で、時間的にはなぜkなぜか受け付けてもらってから1時間以上もかかってしまった。
その合間に俺とMogumoguさんの二人で、隣にあるはんこ屋に行って、領収書などに押すためのゴム印を作ってきた。
その後は、近くのスーパーに行って、カレーの材料と鯛焼きを買ってきた。
最近毎日のようにクリーム鯛焼きを食っている。
田舎育ちの俺は、たこ焼きや鯛焼きなどは滅多に食べられないもので、お祭りの日などに食べさせてもらう感じだった。
別にうちが貧しかったわけではなく、うちの親がこういうものをあまり買ってこなかったから余計なのかも知れない。
しかし、この町にはすぐ近くにたこ焼きや鯛焼きを手に入れられるところがある。筑波にもあったが、バスに乗らないと行けないぐらい遠くだった。
彼女がいた頃は買い物ついでに買ってくることはあったが、3年になってからはほとんどこういったものを買ってくることは無かったのである。
そんなわけで、昨日作ってもらった鯛焼き屋のポイントカード、1ヶ月で15ポイントぐらいたまりそうで怖かったりする。



2003年03月27日(木)
久しぶりのBLPCメンバー集合

 昨日の日記では自分がこのまま行くと駄目になりそうだと書いた。
その後、俺にとってもう一つ運が悪い事件が発生した。
事件と言うほど大げさなものではないかも知れないが、俺の大事なキーボードが、なぜか調子が悪い。
しかも調子が悪いのはエンターキーなんだから話にならない。
ともかくキーボードをひっくり返してみたり、掃除しようと分解を試みたりいろいろやったのだが、全く尚手くれなかった。
そこでふてくされて寝ていると、朝っぱらからいきなり電話画家kってきて目が覚めてしまった。
 今日はBLPCの総会があったので、10字15分に地元の駅を出て、池袋からバスで会場に行った。
会議そのものは1字からだったのだが、12字からみんなで集まって飯を食おうと言うことになっていた。
会場について受付をすませ、Melodyさんと二人で待っていると、ピヨマルとMogumoguさんが現れた。
そこで飯を食っていると、猿君が迷ったから何とかしてくれと電話をしてきた。ところが、今回は視覚障害者の集まりだったので、到底迷い人を迎えに行くほどの余裕がなかったため、「タクシーで来なさいな」という冷たい答えしかできなかった。
 さて、会議が終わった後は、久しぶりにかなりのメンバーが集まったので、スクリーンリーダーの話とか、盲学校の先生の話とか、生徒会の話など、管理マニアックな話題で盛り上がった。
その後は眠かったので、直接家に戻ってきた。
帰りに、近くのスーパーによって飯を買ってきた。今日はまともな弁当を食べようと思っていたのだが、なぜかお好み焼きが安くなっていたのにつられて、たこ焼きとともに買ってきてしまった。
それにしても久しぶりに食うお好み焼きはうまかった。



2003年03月26日(水)
俺の弱虫!

 ここのところテレビのどのチャンネルを回してもイラク攻撃の話題しかやっていないような雰囲気になっている。
しかし、俺はこれら各局のニュースを見ていて思うことがある。
それは、現在の状態を伝えているものは多くても、「どうしてこうなってしまったのか」という、経緯を伝えているものがほとんど存在しないことだ。
まぁ平たく行ってしまうと、イラクが大量破壊兵器を保有している可能性が多く、それが世界にとって驚異になると考えたアメリカが、それら大量破壊兵器を愛機するように求め、国連が査察を行ったにもかかわらず、イラクが大量破壊兵器の提出に応じなかったから攻撃に踏み切ったと言うことになるのだろう。
しかし、どうも米英群の真のねらいは、イラクのフセイン政権の打倒にある。
大量破壊兵器を廃棄させ、世界の驚異を取り除くことにはそれなりの役割と意味があるだろう。
しかし、どうしてここまでアメリカが「大量破壊兵器」ではなく「フセイン政権」にこだわっているのかを説明する番組を流している局は少ないのだ。
何せ世界情勢なんてほとんど分かっていない俺だから、未だにこの辺がよく分からない。
俺よりももっと上の世代の人たちには、この辺の話がけっこうよく分かっているのかも知れない。でも、今俺は21歳になるが、湾岸戦争当時は小学3年生だったから、こういう難しい話は分からなかったことが原因で、当時からの経緯を全く知らないと行った方が正しい説明になっている。
どうもフセイン政権妥当を目指す理由の一つに、フセイン政権によるクルド人弾圧があるらしいのだが、具体的にいつ何が起きたのかなど、どうしてアメリカがフセイン政権を打倒し、新しい政府を作ろうとしているのかを開設しても良いのではないだろうか。

 さて、この下の日記は弱虫男のつぶやきである。
暗い話題の嫌いな人は、この舌を読まないで欲しい。
友達専用ページに書こうとも思ったのだが、もしかする尾tこの時期だから、同じ気持ちになっている人がいるかも知れないのでここに置いておく。

 俺は今日、朝起きて自分の体にはっせいしている現象が信じられなかった。
なんと、大事な耳のパワーが弱ってしまっている。
これは今日初めて経験したことではない。
高校3年の秋に経験しtのと全く同じ現象だった。
自伝の中でも書いたが、この現象は左耳の聴力が極端に低下するもので、得に高い周波数の音が聞こえにくくなってしまう。
つまり左耳の音だけが何となく曇って聞こえるという感覚に襲われるのだ。
これはストレスから来るものらしいのだが、この状態が続くと本当にやばいことになる。
ともかくここのところ精神駅に着かれていること間違い無しなので、起きるのをやめてともかく今日は何もしないで寝ていることにした。
でも、なんだか不安になってきて、メッセンジャーに出ている友達に話しかけると、彼もどうやら同じ現象が発生したことがあるらしい。
一人暮らしをしている全盲の人って、どうやらこんなことになってしまった経験を持っている人が多いのではないだろうか。
精神的につらいのは耐えれば何とかなるかと思うのだが、その反動で聴覚神経がおかしくなるのは本当に勘弁して欲しい。
耳が聞こえにくくなるのは視覚障害者にとって鬼現象以外の何者でもないから。
ともかく俺は精神的に楽になる方法を考えないと、本当にこれからやばいことになる。
 これを読んでいる人の中からは、「おまえは弱虫だ」とか、「こんな弱虫では社会の荒波に負けてしまうぞ」というお怒りの声が聞こえてきそうな気もする。
しかし、事実として俺はかなり参っている。何とかしなければと思っては行けないのかも知れないが、でもやっぱり正直不安でしょうがない。
ここに来てどうしてこんなにいっきに不安定になってしまったかはよく分からないのだが、ともかく誰か俺の話を聞いてくれる人がいてくれないとさらにやばい状態になる気がしている。
幸いなことに、明日はBLPCの総会があるから一人で家にいなくても住む。一人で家にいるときが一番不安だ。
あさってはどうもまた暇になってしまうかも知れないのだが、29日と30日は人が来る予定になっている。
でも、或意味今が一番やばいときかも知れない。
4月から会社に入ってしまえばそんなことを考える暇もないような気がするし、何より一人で家にいなくても住む。
ああ、こんなに不安でつらいのは初めてだ。
1年ちょっと前に彼女に振られたときは「つらい」というより「寂しい」だったことが今になって分かる。今はつらいというのがぴったり当てはまる。



2003年03月25日(火)
隣室微少音恐怖症候群

 今日はなぜか朝7時頃目を覚ましてしまった。
昨日夜中の2時頃にネタのだが、何でこんな時間に目を覚ましてしまったのだろうか。
その辺のところは不明である。
 とりあえず何をする出もないので、昨日買ってきたおにぎりを食って、コーヒーを入れて飲みながら、朝からオンラインになっている友達とチャットをしていた。
 すると9時頃になって、いきなり郵便局の人が現れた。何が届いたのかと思ったら、大学の方から速達で卒業証明書と成績証明書が届いたらしい。
ともかくこれは会社に持っていくものなので、すぐに封筒にまとめてしまっておいた。
卒業式には行かなかったので卒業したという感覚を味わうことが無かったが、今日この二つが届いて改めて
「ああ、俺はもう大学卒業したんだ」
と感じている。
友達に「大学生活終わったって言う感じがしないから卒業式には来るように」と言われていた。しかし、俺は卒業式なんかに行かなくても十分大学生活が終わってしまうことを感じている。
何せ東京に引っ越してきたことそのものが、いやが上にも来週から社会人にならなくては行けないことを告げている。
だというのに、悲しいことに今日も暇だった。唯一の救いは、午前中ちょっと駅に人にものを届けに行ったことぐらいだろうか。
 午後はそれこそ何をする出もなくチャットとかメールとかそんなことで暇をつぶしていた。
すると2時頃になって、この前から調子が悪い換気扇を業者が直しに来たのだが、いくらこちらが調子が悪いと行っても「これは使用です」と言っている。
まぁそんなに思い切り師匠があるというほどのものでもないのであまり突っかかるのはよしておいたのだが、本当にユニットバスの換気扇なんてこんなものなのだろうか。
それからちょっとばかり飯を買いに行ったのだが、なぜか甘いものが食いたくてミスタードーナツの前で足を止めてしまった。本当はサラダとかそういうものを買ってきたかったのだが、どうも俺は自分の欲求には勝てないらしい。
飯を食いながら久しぶりにワイドショウを見て、その後はJAWSの古いバージョンのトレーニングテープを聴いたり、同じくJAWSの英語版のトレーニングテープをダウンロードして聴いたりしていた。
 夜になってどうも隣の部屋の音が気になるので、ベッドの横に防音マットでも立てかけようと思い、ちょっとばかり探したらやっぱり似たようなことを考える人がいるもので、45センチ四方の防音マットが売っているではないか。しかもこれ、900円だったので、3枚ぐらい買っておいた。
 その後去年の1月の頃に卒業研究の実験に協力した人と、久しぶりにチャットしてから、未解決事件の謎に迫るとかいうテレビを見た。

 さて、上で俺は「隣の部屋の音が気になる」と書いたのだが、これは別に隣の部屋の人が特別うるさい人だと言うことではない。
俺が音に敏感になってしまっているのには大きな理由がある。
元々俺は、少々の音には全く無頓着で、人がギターを弾いて歌っていてる横でも眠れるような人間だった。まぁ、正確に言うとギターを弾いている人の横で眠っていたときは、「うるさくてしょうがないから寝てしまおう」的な雰囲気だったのだが。
大学1年の1学期までは、俺は完璧に音には無頓着だった。
隣の先輩が大きな音で音楽をかけていてもっけっこう平気で寝ていたし、ちょっとやそっと話し声がうるさい程度ではそんなに気にならなかった。
 ところが、大学1年の9月につきあい始めた元彼女は、本当に音に敏感な人で、隣の部屋がうるさかったりすると全く眠れないような奴だった。
だから俺は、隣の部屋からうるさい音が聞こえるたびに、大好きだった彼女が自分を置いてどこかに行ってしまうのではないかという錯覚に陥り、そのことが原因でまず隣の部屋の音が気になるようになった。
そんな俺に拍車をかけたのが、2年の春に引っ越したユニットでの爆音事件だった。
このユニットには、俺と同じ学年の他学科の男がいたのだが、こいつは相当うるさいやつで、毎晩のように友達を呼んでは、どんちゃん騒ぎの飲み会を繰り広げていた。しかも12時を過ぎても平気で爆音で音楽をならす始末。
本人に静かにするように言っても全く話にならず、しびれを切らして学校の寄宿舎管理係に訴えても駄目だったため、俺は近くに部屋を借りて引っ越した。
それ以来、隣の部屋から人が発する音が聞こえると、なんだか怖くてしょうがない。何が怖いのかと聞かれると、全くそれは分からない。
でも、高所恐怖症の人が高いところが怖かったりするのと似たような雰囲気ではないかと思う。
俺は隣の部屋の音が怖いのだ。
はっきり言ってここまで来ると完璧にトラウマになってしまっている。今俺が住んでいる部屋は、都内でもそんなにぼろくそな部屋ではない。いや、正確に言うと中級クラスよりちょっとばかり上なのかも知れない。
でも、そんな部屋でも昔筑波で住んでいた部屋より若干壁が薄い。
どのぐらいかというと、隣でテレビを見ていると、かなり耳を澄ましてやっと「なんだか隣で音がしているな」というのが分かる程度だ。
しかもそれは壁際に置いてあるベッドに寝ている状態での話だから、普通であれば問題のない範囲であることは間違いない。
でも、なぜか静かな夜に隣の音が聞こえると、俺は怖くなってしまう。これ何とかならないだろうか。
そんなわけでともかく野防御策として、自分の耳の横に厚さ2センチの防音マットを立てかけてみようと考えついたのである。



2003年03月24日(月)
買い物の宿命

 一人暮らしを始めてもう2年になるが、その中で困っていることの一つに買い物がある。
何か目的のものがあってそれを買いに行くことそのものはできるし、大概の場合その目的のものは手に入る。
ところが、目的のものが会った配意が、値段が高すぎるなどの理由でその店で買いたくないと思ったときは最悪である。
大体、俺たちには値段表が見えないから、一度その店で買ったことのあるもの(特に形が特徴的な食べ物など)以外は店員さんに値段を聞いて買うことになる。
その値段がもし自分の予想していたものより高かった場合、相当神経の太い人以外は、その店で買ってしまうことになる。
今日の俺はそうだった。
 俺は午後になって、近くのホームセンターに買い物に出かけた。
目的は「ふぉろばに奥いすと石鹸起き」を買ってくることだった。
友達からは「大体700円ぐらいで売ってるよ」と聞いていたので、その程度の値段だと思って買いに行った。
とりあえず何とかホームセンターの入り口を入り、2回の家庭用品売り場に行って店員さんを捜し、用件を告げるといくつかいすを持ってきてくれた。
すると、そこにあったのは俺が予想していたものよりもものすごく高級品。特に最初に持ってきたものなどとても俺には似合わないような商品だった。
普通風呂場のいすは、すべてがプラスティックでできている。ところが今回お姉さんが持ってきてくれたのは、上の部分が木製の、以下にもお値段高いですという漢字のものだった。
そこでそれ以外のものはないかと違うものを持ってきてもらったのだが、今度はでかすぎる。
とりあえず3種類見せてもらったのだが、気に入ったものはあったけれど、それは例の上が木製の代物で、お値段が高すぎる奴だった。
普通ならここで暇人は別の店を探しに行くのだが、とりあえずここで買わないわけにはいかず、俺は1700円ぐらいするいすを買ってしまった。
そのほかには吸盤で貼り付ける石鹸置きと、これまた貼り付ける網のシャンプー置きを買ってきた。
この手のものは100円ショップでも売っていると聞いただけに、俺はけっこう沈んでいたのだが、これも視覚障害者で或以上仕方のないことなのかとあきらめるしかなかった。
こういうことを書くとよく「じゃぁ友達と行けばいいじゃないか」という声が聞こえてくる。
そうなのだ、その通りである。友達と行けばこういうことはできる。ところが、残念なことに俺は東京に超してきたばかりで、晴眼者の友達はほとんどいない。
これでは本当にどうしようもないのである。
 そんなわけで自宅に帰ってこれらグッズを風呂に置いて、吸盤を壁に貼り付けようとしたら、なんとすぐに落ちてしまって使い物にならない。
せっかく買ってきたのにと悔しくて正直鳴きそうになったのだが、とりあえず何とか方法を考えるしかないので、壁をあきらめて浴槽の内側に取り付けることとなった。
 それが終わった後、朝飯も昼飯も食っていなかったので、コンビニに行って飯を買ってきてテレビを見ながら食った。
ちょうど飯を食い終わった頃、イラクのフセイン大統領の演説が始まった。
 アメリカはとりあえずフセイン政権を打倒したいらしいのだが、とある学者の話として
「イラクはフセインがいるからまとまっているんだ」
という話を聞いたことがある。
おそらくだが、このまま行くとイラクは遅くとも1ヶ月ぐらいでバグダッドを占領されてしまう結果になるだろう。
向こうはイラク1国で戦っているのに、アメリカ軍はイギリスをはじめとする多くの国の支援を持っている。
また、アメリカ軍はおそらく正解でももっとも強力な軍隊で、最新兵器をぼこぼこ使ってくるだろう。
イラクが化学兵器でも持ち出さない限り、冷静に見てもイラクはバグダッドを制圧されてしまうだろうと思う。
 俺はイラクが化学兵器を持っているかどうかの真実を知らないのでどちらかの味方をする発言はしないが、ともかくアメリカ軍の今のやり方はちょっと汚いのではないかと思うのは確かだ。



2003年03月23日(日)
今日が日曜日だと言うことは

 日記に書いたが、昨日の夜はほとんど徹夜という状態だったので、今日は午前中11時ぐらいに起き出した。
ちょうどそのころ、猿君も起き出したので、二人で昨日のリカバーの続きやら何やらとやっていると、Melody山河メッセンジャーにサインインしてきた。
Melodyさんは、以前にIBMのノートパソコンがリカバリーできなくて困ったという話をしていたので、昨日の話を教えて上げようと思って呼び出すと、暇なのでこれから遊びに来るという。
それにしてもこんなことがある度に、ここが東京のど真ん中だと実感する。
夜普通にパソコンをやったりしているときは、筑波の部屋とものは変わらないので、ここが本当に東京なのかとちょっと考え込んでしまうこともあるのだが、こんな風にほとんど毎日のように友達が遊びに来てくれると、自分が東京人になったことを実感できる。
 そんなわけで2時半を過ぎた頃、Melodyさんは遊びに来た。ところが驚いたことに、彼がこの家に遊びに来るのは3回目のことなのだが、もうすでにここの場所を覚えてしまったらしく、いきなりドアの前に現れたのでかなりびっくりした。
それにしても彼はどうしてこんなに地図を覚えるのが上手なのだろう。全盲の俺にとって致命傷なのは、地図を覚えるのがへたくそなことだ。
盲学校時代も思いっきり方向音痴だと言われ、何度馬鹿にされたことか分からない男である。
方向音痴は一般の人でさえ困ることなのに、俺の場合これに加えて視覚障害者だという極めつけがあるのだから本当にしょうがない話である。
 その後、みんな飯を食っていなかったので、とりあえずドーナツでも買ってきて食うかと言うことになり、ミスタードーナツに行ってきて一人3個ずつドーナツを買ってきて、家に帰ってからコーヒーを入れてそれを食事代わりにした。
その後はひたすらみんなしてパソコンをやっていた。俺の友達は本当にパソコン好きが多いので、ネットワークにつながる環境と一人1台のパソコンがないとやばい。
そんなわけで俺の部屋には合計3台のWindowsパソコンと、最大11ポートまで接続できるネットワーク端子が用意してある。
6時頃になって猿君は帰っていったので、俺たち二人はいつものラーメン屋に飯を食いに行った。それにしてもここに引っ越してきてから、このラーメン屋に何回来ているのだろうか。
もうすっかり店員さんには覚えられてしまっている。正確に言うとここはラーメン屋ではなく中華料理屋なので、大体のものはそろっている。俺はここのチャーハンがお気に入りだ。チャーシューがたっぷりはいていることと、余計なものがあまりは行っていないのがここのチャーハンのおいしい理由なのだと思う。
それとこの店、中国の人らしき人が働いている。
今日はもやしラーメンを食ったのだが、もやしだけではなく野菜炒めがラーメンに入っているといった感じで、野菜不足の俺にはかなりぴったりの代物だったと思う。
 家に帰ってきてから、パソコンのトレーニングテープの比較のようなことをやって遊んだ後、Melodyさんは帰っていった。
 ところで今日は日曜日だ。そんなことは当たり前なのだが、日曜日というのは正確に言うと週の初めの日なのである。
3月ももう23日、そうなると俺はなんと来週から社会人になってしまう。
これってかなり不安だ。誰かこの4月から社会人になる人、俺と友達になって欲しい。
幸いにも会社の人は親切なのだが、書いていると書ききれないほど俺は不安だったりする。
それとまたまたなのだが、月曜日と火曜日と水曜日の3日間暇である。
社会人になる前の貴重な休みなので、一人で何をする出もなくぼうっと過ごすのははっきりいっていやである。
誰かこのあたり暇な人いないだろうか。
こうなったら水曜日あたりにでも、俺個人の主催で、パソコン講習会でもやろうかなぁ。



2003年03月22日(土)
IBM Think Pad R40のリカバリ悪戦苦闘

 今日は昨日の夜遅くまでホームページの更新をやっていたので、午前中はひたすら睡眠モードだった。
猿君が来ることになっていたのだが、11時に地元の駅に来るというので、電話がかかってきたら起きることにしていた。
すると、10時台後半になって、
「ごめんなさい、寝坊しました」
という連絡が来た。普通なら怒っているところだが、自分もそのときまで寝ていたので、今回は俺にしては珍しく穏やかだった。
しかし、この後が問題だった。俺は電話の受話器を置くと、そのまま眠りこけてしまったのである。
電話の音で気が付いたときには12時台後半に突入しており、猿君はすでに駅の改札口を出て、近くのスーパーの前をうろついている状態だった。
とりあえず急いで迎えに行って、マックで飯を食って部屋に戻ってきた。
 猿君は新しいノートパソコンを最近買ったらしく、それを持ってきていた。
今日はそのインストール作業や、ネットワークの設定に関する説明を中心にやっていた。
午後はとりあえずウイルス対策ソフトとか、ディスクメンテナンスソフトとか、そんなものばっかりを入れていた。そして何かの拍子に、何処を弄くったときからか分からないのだが、やたらとPC-Talkerの起動まで、ログオンの音楽がなってから時間がかかるようになってしまった。
その後、近くのファミレスまで飯を食いに行った後、俺の行っていた大学の寮の部屋の間取り図を書いてやったりしていた。
彼は来年から俺と同じ大学に行くから、寮に引っ越す前に荷物の対策を作っておきたいと言うことだったので、間取り図の中の荷物を置けそうなスペースに印を付けたり、どの辺に何を配置するかなど、紙の上でああでもないこうでもないと離していた。
 その後、どうも先ほどから起動が遅いのが気になって、買ったばかりだと硫黄のにパソコンをリカバーすることにした。
これはIBMのパソコンだったので、リカバリCDが着いていなかった。
そこで、リカバリCDを作るツールをインストールした。というよりも、「Rapid Restore PC」というソフトでリカバリCDを作れると聞いたことがあったので、それをやってみたわけだ。
ところが、こいつは純粋な工場出荷時のリカバリCDを作成するツールではなく、現在のHDDの状態をバックアップするツールだった。
詳しくはこちらをご覧いただきたいのだが、とりあえずこいつはリカバリツールではない。
しかもこいつはそのパソコン音HDDにバックアップ専用の領域を作ってそこにデータを保管するから、無駄なディスク領域を大量に使ってくれる。
しかも、俺たちがやったときには、ひたすら1時間半ぐらいバックアップに時間がかかったので、絶対にこいつはおすすめ出来ない。
そこで、純粋に工場出荷時の設定に戻す方法を探してみると、起動時に
「To start the Product Recovery program, press F11」
と出たらF11キーを押すとリカバリーのメニューが出るとここに書いてあったので、その通りにやってみたのだが、
「ぴーぴーぴーぴーぴー」
というやかましい音が出るだけで、その後普通に起動してしまう。彼の機種は「ThinkPadR40」らしいのだが、この機種ではこれはどうやら使えないらしい。
そこでスタートメニューの中にある「Access IBM」というヘルプを見てみると、どうやらこれは、起動時に「AccessIBMキー」を押すことで、リカバリーのメニューが出てくると言うことだった。
これはこれで分かってしまえば便利なのだが、全くIBMもページを最新の情報に更新しておいて欲しいものだ。
リカバリーをしようと思ってRapid Restore PCにチャレンジしてから、結局3時間以上もなんやかんやで無駄な時間を費やしてしまったのだから。
 俺や猿君は、或程度パソコンのできる人間だからまだこれで住んだけれど、そうでない初心者、特に視覚障害者はこんなことでは絶対にすまされないと思う。
自分で調べようと思っても説明書は読めないし、パソコンに詳しい目の見える人が近くにいるとは限らない。
だから攻めても、「AccessIBMキー」ではなく、「Recoveryキー」とか「Recovery and restoreキー」などのようなわかりやすいキーの名前にして欲しいものだ。




2003年03月21日(金)
パソコン周りの快適空間作り

 東京に来て今日でちょうど2週間になる。
このところ良く感じているのは、「部屋が狭くて荷物がしっかり片づかない」という不満である。
とはいっても、部屋の方は絶対に広くなるはずがないのだから、こればっかりはしょうがないと思うのだが、それにしてもちょっとこのごちゃごちゃは俺には気に入らない。
でも、絶対に部屋は広くならないが、部屋の中で空いているスペースが無いわけではない。
それは「空間」だ。
棚の上や床の部分はほとんど荷物や家具、生活雑貨品などで埋め尽くされているが、したから1メートル以上上の部分には、ほとんどものはない。
これがもったいないと思うのだ。特にパソコンラックの周辺とか、衣装ケースの上の方、そしてカラーボックスの上の方とか、何とかこの上にものを重ねておければ本当にすっきりすると思っている。
特にパソコンラックの周辺は、家にいるときのほとんどをこいつのまえで過ごしている俺にとってもっとも大切な部分である。
そこでこれまで、ラックの板にコーヒーカップを取り付け、CRTディスプレーのしたにキーボードを収納できる引き出しを設置し、ラックのポール部分には電話機を置くためのマウステーブルを取り付けた。
しかし、これでは小物を置くところが見あたらない。
一番上の段にはプリンタとスキャナが乗っているためこれ以上ものを乗せられない。
乗せられたとしても印刷やスキャンの度にそれらを移動しなくてはならず、とても面倒だ。
2段目はパソコンが乗っているし、この辺にものをむやみやたらに置いておくと、っきーボードをしまうときや打っているときにちょっと手が滑ってものに当たってしまい、それが重ねてあったフロッピーだったりすると鳴きたくなる。
一番下は点字プリンターと配線類が乗っており、ここにはもうものはおけない。
そうなってくると狙うべくは「ディスプレーの上の空間」である。
これを生めるべく、俺は今日いろいろと探した結果、ちょっと変わったものを買ってきた。
それは「ラックの上板の下に貼り付ける引き出し」だ。
これをくっつければ、ディスプレーの上の部分に引き出しが来るので、小物を入れておいてすぐに取り出すことができる。
この引き出しには二つの種類がある。一つはA4版の書類が入るぐらいの大きさのもので、中を3つに仕切るための板が着いているもの、そしてもう一つはこの半分よりちょっと小さな、CDROMがケースごと入るぐらいの大きさのものだ。俺はもちろん二つとも買ってきた。
また、その横に開店収納式のマウステーブルを取り付ければ、リカバリーなどのCDをたくさん使う作業をするときなど、必要に応じて物置を増やせるのである。
こんなものがあったとは全く知らなかった。
そんなわけで今俺のラックは、いろいろと取り付けられた特製のものに仕上がっている。

 今日はMogumoguさんと秋葉原に行って来た。
予定では家の近くの駅で待ち合わせることになっていたのだが、朝になって彼が寝坊したと言うことで、都庁前の駅で待ち合わせて、そこから上野御徒町まで行き、銀座線に乗り換えて末広町という駅まで行った。
 秋葉原に着いてからすぐに、腹が減ったと言うことでカツカレーを食った。
ここは喫茶店だと上のアナウンスで言っていたが、カレーの味は抜群で、カツも厚着にの肉を使ってあって、とても食べ応えがあった。
 その後、ラオックスのコンピューター館に行って、パソコンラック周りに取り付ける引き出しとマウステーブルを買ってきた。
さて、この後が今日の寄り道、俺は前々からこのページに載っている「GMRS」とか「FRS」というトランシーバーが気になっていたので、Uniboxというこれを扱っているお店に行って来た。
すると、なんと2台セットで5000円という安いものがあったので、Mogumoguさんと1台ずつ分けて買ってきた。
 その後地元の駅まで戻ってきて、鯛焼きを買って食いながら、ネットをやったりホームページ作りを手伝ったりしていた。
夕方になって暇になってきたので、今日買ってきたトランシーバーを試してみることにした。
すると、やっぱりこれはすごい。その辺に売っているトランシーバーよりも遙かに到達距離は長かった。
テストついでにMogumoguさんにセブンに言ってもらい、氷を買ってきて久しぶり医アイスコーヒーを飲んだ。
8時を過ぎて飯を食った後、Mogumoguさんは10時頃家に帰っていった。
 その後はいつもの日課でホームページの更新というわけだ。
さて、ひたすら毎日がむしゃらに書き続けてきた自伝だが、今日とりあえず最後まで何とか完成した。
多分これからいくつか所々に追加していくとは思うのだが、とりあえず3月中にこの話を書き上げるという目標を達成できて、今日はとても良い気分である。



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