TomGとの出会い。

にゃすこ

TomGに出会ったのは高校生のころでした。彼はその時中学生でした。

現在の友人関係は無線で交信したことがきっかけでした。
もちろん、無線ですから、最初は声だけから始まります。
最初は彼がある盲学校のコールサインで、無線クラブの名前も「○○盲アマチュア無線クラブ」だ
と名乗っていたので、私は「あれぇ」と思いました。

というのは、盲学校というか、目の見えない人なんて初めてで、もちろん身近にはいないのです。
テレビを見てそういう人もいるんだ、としか知らなかったからです。

先入観というのは恐ろしいもので、私は目の見えない人はみんな暗い人だと思っていました。
しかし、彼の無線の声はとても明るく、彼が目の見えない人なんてと全然信じる事
ができなかったのです。
まず、無線機なんて扱えるワケがないという先入観もあったりました。

また、私は彼の明るさと先入観のギャップを否定したかったのかもしれません。

最初は「盲学校」ときいて、なんかの聞き間違えなんじゃないだろうか、
目の見えないという意味での「盲」ではなくて、どこかの地名で「モウ」という所があって
そこの普通の学校だと考えたりしていました。

「盲学校の職員の目の見える人がやってるんだろう」とか、いろいろ考えたりもしました。
ここまで、来ると屁理屈ですね。
それほど、最初は彼の現実(目が見えない事)を信じる事ができなかったのです。

これは決して差別やバカにしているものではなく、本当に一般人は無知だ、ということなのです。

そうそう、もう1つ信じられない事がありました。
無線の慣例として、初交信の時に自分の使っている無線機などの紹介をするんですが、
不思議な事にTomGはかなり高級な無線機を持っていました。中学生にしてはなぜ
こんな高い無線機をもっているのだろう?なんでこんな無線機を買ってもらえるの?
と高校生の私は不思議に思っていました。
実はこの理由もあとからわかるのですが・・・。

そのころ、私は私で、TomGとは別の無線クラブに属し、別の学生の集団にいれてもらって
いました。というわけでTomGとはたまに無線で交信するぐらいだったので、まださほど
親しいわけでもなかったのです。

TomGと急接近するのはそれから、しばらく後のことでした。
私の所属していた、近所の学生集団のメンバーが就職したり、引越ししたりして
あまり無線に出てこなくなったのです。
というわけで寂しくなった私は、だんだんTomGの所属する学生集団に
顔を出すようになっていったのです。
県内のなかでもTomGの集団は南に位置し、私は北という状況でしたので交信には結構苦労しました

そのような厳しい状況にもかかわらず、私は毎日のようにTomGと交信するようになっていたのです

TomGと話ているうちに、改めてTomGは目が見えないこと、また生まれた時から
盲目であることなどを聞きました。
そんな事を明るくしゃべるTomGに私は内心ショックを受けていたのです。

しかし、話すにつれ「障害」って回りが騒いでいるだけで、本人はあまり気にしていないんだな。と
感じました。障害というものは本人しだいでどうとでもなる、本人の気の持ちようだ、
と思いました。

TomGと交信するうちに
さきほどの疑問も明らかになってきました。なぜ、TomGは中学生にしては高級な無線機を
持っているのか?という疑問です。
基本的に目の見える人は、無線機の周波数を確認する為、ディスプレイを目で見て確認しています。
しかし、目の見えない場合はどうやって周波数を確認したらいいのでしょうか?
みなさんもPCトーカーというものがパソコンに入っているでしょう。
それの無線版では「音声合成ユニット」というものがあります。これを使うわけです。
そのユニットが無線機のディスプレイに表示されている周波数を読み上げてくれるのです。
そして、自分がどこの周波数にいるのかわかるという仕組みです。
しかし、パソコンのインストールと違って、無線の場合無線機の蓋を開けて
音声合成ユニットを取り付ける必要があります。
また、無線の場合どの無線機にもユニットが入るかというとそういうわけでもなく
安く買える小型のハンディトランシーバーなどには入れることができません。
となるとユニットに対応していて操作しやすいツマミ類がついた無線機となると
少し高級なタイプを選ばなければならないのです。
これがTomGが少し高級な無線機を持つ理由だったのです。

ユニットの音:「ヨン、サン、サン、テン、ナナ、ロク」

これも私には初めての経験であったのです。

このようにして、私とTomGの友人関係は始まっていきました。

TomGとのアイボール

※アイボール・・・実際に会うことです。


中学生のころ視覚障害センターの人達と交流会があったりして
その人達が自分の学校にきたりしました。でもそれは現実的には「自発的な」というか自分からすすんでの
交流ではないのです。
勝手に先生が交流会の予定決めて、ただ障害者の人と会って適当なお話をしたり、結局はその場限りの関係で
友達としてそこから、付き合うことは無いでしょう。

また、こちらから交流会と称して相手方の盲学校や視力障害センターへ行く場合は
福祉委員会に所属している人達が選抜されていくわけです。
はっきり言って、たまたま福祉委員会に入った人もいるでしょう。
やはり学校が決めたことを、ましてそのようにたまたま入った人達ですから
交流なんて言っても、こなすだけの「仕事」になってしまうのです。

そういう無理矢理の関係ではなく、自分から進んでの友人関係は次の出来事で確実なものと
なりました。

毎年夏には無線のイベントで「ハムフェア」というものがあります。
別名「アマチュア無線フェスティバル」というのですが、
そこではアマチュア無線に関するもようしや無線機の販売会、講習会、発表会があります。

ある日TomGがフェスティバルに参加するという話になりました。
前々から私も参加を予定していたので
私とTomGと現地で会う事になったのです。

ハムフェアと言う空間はとても不思議な空間で、みんながみんなハンディトランシーバー片手に
友達としゃべって連絡を取り合っています。
無論私もトランシーバーを持っていきました。
当時はまだ、携帯電話を中学生や高校生が持っている時代ではありません。

TomGを連れてきたKさんに無線で案内してもらいTomGに近づいていきます。
私はどきどきしながら、無線で案内された方向へゆっくり足をすすめます。
私は無線の声から、いろいろな人相を形づくっていました。

そこには白杖を持った少年が立っていました。
「どうも○○です。」と私が声をかけると「あぁ、どうも○○さんですか?こんにちは」
と明るい声が返ってきました。

外見では普通でした。ただ、一本の白杖だけが印象的でした。

ハムフェアはとても込み合っていました。凄い人の数で歩くのも人とぶつかり大変です。
しかしTomGがあちこちブースを見て回りたいというので、TomGの手をひき会場をまわりました。
ひとつひとつブースの状況を声で伝えました。また、TomGが出来るだけ
人と接触しないように気をつけながら・・・。(でもあちこちぶつけちゃった!TomGごめん!)
なにしろ初めての体験。こんな感じの手引きでいいのか?こんな説明でいいのか?歩く速度は?
自分だけで歩くのとは違って、結構気を使って大変だったのを覚えています。
自分の見ているものを、人に声だけで説明するという大変さに改めて気づきました。

なにしろすべてが初めての体験でした。ここには学校もなにも介在していません。友達として
一緒に歩いたわけです。
でも、とてもいい経験になったと思います。


このアイボールをきっかけにTomGとの本格的な交流が始まりました。

交流と言う言い方がまず、おかしいかもしれませんが・・。

普通に友達同志、だれからの強制されたワケではないのです。


俺とアマチュア無線の目次へ戻る

トップページ