パソコンは入れ替わってきたけれど


 「誰かピアノ教えてくれる人いないかな」
そんなメッセージを受け取ったのは、いつものように会社から帰って、飯を食ってメールをチェックしている時のことだった。
このメッセージは古くからの知り合いが送ってきたのだが、またこいつは一時的に興味を持っただけで、そんなに深い意味のあるメッセージではないと思った。
そこで俺は、いつもの調子で
「あっ、そう」みたいな軽い返事を返した。
ところが、その次の瞬間、
「あのね、このピアノ、小さいときから引いてたんだけど、今度引っ越すのに処分することになったんだ。だから寂しくてね」
という思いがけないメッセージが帰ってきた。
「それは寂しいなぁ。小さいときからずっと蕎麦にあったものがなくなるって悲しいよねぇ」
俺はこんなメッセージを送ってから、自分も今日の朝、思い出の品物を処分したことがふと脳裏を駆けめぐった。
 それはパソコンのディスプレイだ。この前友達が来てパソコン組み立てをやったとき、何かの都合で壊れてしまったこのディスプレイ。
俺自身はこれを見ることができないから特別壊れたからと言って支障はなかった。
でも、何か寂しい気がする。いつも使っていたわけではないこいつが無くなってなぜ寂しいのか、その瞬間はよく分からなかった。
その不思議な寂しさが何だったのか、このメッセージではっきり分かったのである。

 俺が初めてパソコンというものを手にしたのは、高校2年生の冬、あまりに恐ろしい英語の先生の授業を何とか乗り切りたい一心でのことだった。
この1代のパソコンが俺の将来を変えていくことになった。
 ところがこの初めてのパソコンは、大学2年生の5月、USBボードの差し間違いによってマザーボードが壊れ、高額な修理代がかかると言われたことから手放す羽目になった。
そのパソコンの代わりに、今度は先生の手作りDOS/Vマシーンがやってきた。
このマシーンは現在でもいろいろと部品を付けたりはずしたりしてはいるが、ファイルサーバーとして元気に活躍してくれている。
その後、Dellのマシーンがやってきた。今これを書いているこのマシーンである。
 そんな風にパソコンも切り替わったが、それと同時に俺も変わった。
まず大学生になって筑波の大学の寮に引っ越してきた。そしてしばらくして初めて彼女と同棲生活みたいな経験をした。
その後いろいろあって寄宿舎の部屋を引っ越した。このときにUSBボード事件が起きて、1代目のパソコンとはお別れすることになる。
その後、経った2ヶ月程度で俺はマンションに引っ越して一人暮らしを始めた。そして約2年後、今の東京の町に引っ越してきて会社で働き始めたのである。
 この間ずっと、俺の蕎麦にはパソコンとともにこのディスプレイが置いてあった。
パソコンはこんな風に何台も切り替わったけれど、こいつだけはいつも元気にたまに来る人のために働いてくれていた。
おそらく今までずっと、いろいろな俺の姿、友達の姿を見つめてきたのだろう。
 こんな風に思いを巡らしていると、なんだか妙に切なくなってくるのである。
画面が無くても困ることはないのだが、ずっしりと重たかったあのディスプレイの存在は、案外俺の心の中では大きなものだったようである。


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