初めて行ったハムフェアー


 「ハムフェアーに言ってみたい!」
これは俺が無線を始めたばかりの頃、Oさんからハムフェアーというものがあることを聞いたときからの俺の夢だった。
中学2年の夏休みが近づいた頃、日本アマチュア無線連盟(JARL)の月刊誌にハムフェアーのことが載っていた。
「あっ、これだ!俺も行きたい。」と思って、早速両親に相談してみたが、俺の両親は農業をやっているため、忙しくて連れて行ってくれなかった。
しかも、当時の俺には無線で話す程度の友達はいたものの、一緒に遊んでくれるほどの友達はいなかったし、栃木学生集団もそれほど大きな組織ではなかったため、集まってハムフェアーに行こうという計画は持ち上がらなかった。
もちろん思い切って仲のいい友達の一人には話してもみたが、「目の見えないおまえをどうやって連れ照ったらいいのかわかんねえしな・・・」と言われてしまった。

 さて、今年もハムフェアーのことを記載したJARLの月刊誌は俺の手元にやってきた。でも、俺には「俺も行きたいから誰か地元から一緒に行って」と声を出す勇気はでなかった。去年と同じように断られると思ったのだった。
ところが、そんなことを考えていた俺は馬鹿だった。俺の知らない間にみんなの視覚障害者である俺に対する見方は全く違うものになっていたのだった。それと同時に、栃木学生集団も、大きく成長し、ハムクラブとしてのメンバーの結束も固まっていた。
どこの無線クラブでも、関東近辺にある無線クラブであれば、集まってハムフェアーに行くのは当然のことだったので、みんなそのつもりでお知らせが届いた日から計画が始められていた。
しかも俺も自然と一緒に参加することになっていた。
俺の心配していたように「TomGは目が見えないから」なんて言う人は、全くいないで、自然と
「じゃあ、俺がTomGとあそこで待ち合わせればいいな。他は・・・」
ってなかんじに、話はすんなりと進行してくれた。
そんなわけで俺は、持ち出しにくかった話を持ち出さなくても、ちゃんとリーダーとしてハムフェアーに参加することができた。

 ここで読者の皆様に、ハムフェアーについて説明させていただくことにしよう。
 ハムフェアーというのは全国の無線仲間が1年に1度東京に集まって、自分たちのクラブの活動報告をしたり、先輩ハムの人が講演会をやったりする。それだけではなく、このフェアーには全国のアマチュア無線機器の販売店が出店し、普段よりもずっとやすい価格で無線機の即売をやったり、クラブブースト呼ばれる場所では、不要になった無線機器などを持ち寄って、とても安い値段で販売しているクラブがたくさん軒を並べている。
 当時は今と違ってアマチュア無線はかなりの人気があったから、その混雑はかなりのものだった。
会場は東京有明のビッグサイト、もちろんかなり広い場所なのだが、人とぶつからないで歩くのは不可能なほど、人の数はすごかった。
しかもその人みんながハンディートランシーバーを片手に仲間と連絡を取り合っているので、会場も混み合っていたが、多くある無線のチャンネルもほとんど空きがないほど混み合っていた。

 会場に着くとすぐに先着部隊と連絡が付き、合流することができた。
 初めてのハムフェアーで興奮しながら友達といろいろ見て回っていると、他の部隊から、今まで俺が欲しくてたまらなかった短波帯の音声合成ユニット内蔵可能な無線機が、とても安い値段で売っているという情報まで届いた。
 もちろんその日のために、俺は小遣いをためていたので、その部隊に無線機の確保をお願いして、その現場に向かった。
確保をお願いしておかないと、そういう安い商品はすぐに売れてしまうからだ。
現場について実物をさわってみると、中古品にしては状態もきれいだったので、早速その無線機を買った。そして、そんな大きな無線機と白杖を持ってこの後歩くのは不可能だったので、ひとまず店の奥の方に名前を貼って保管しておいてもらった。
 その後は友達と一緒に無線機選びをしたり、クラブブースをのぞいたりした後、3時頃に会場を出ることになった。
さて、こうなってくると問題なのは最初に買った重くてでかい無線機だ。
もちろん遠隔地から来る無線家のために、宅配便業者も出店していたりするのだが、そのときの俺は家に帰ったらすぐに買ったばかりの無線機を使ってみたくて仕方がなかった。
それで、俺は
「こんなもの持ってたら危なくてしょうがねえよ手引きする方のみにもなってくれよ。」
と嘆く友達を拝み倒して、その重くてでかい宝物を持って、意気揚々と家に帰ったのだった。

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