卒業生各局移動運用


 受験も終わり、春休みに入った俺たちは、今まで受験で押さえつけられていた遊びたいという欲望が爆発し、毎夜のようにほとんど徹夜で無線にふけっていた。もちろん卒業生は他のメンバーよりも春休みが早く始まっているから、暇だけはたっぷりある。
 そんなわけで、その年中学を卒業した俺とH君、そして高校を卒業したNさんとSさんの4局で近くの山に移動運用に出かけることになった。H君は、自転車に乗っていて思いっきり危ないことをやっていて、ジャンプした表紙にハンドルに膝をぶつけて膝蓋骨を骨折してしまっていたのにモカ関わらず、ギブスを巻いて無理矢理参加してくれた。
しかもこの春休みには、前の週の日曜日にもメンバー全員の参加できる移動運用を計画して実行してしまった。それほど俺たちは遊びたかったし暇だったことになる。
 このときの移動運用から、車の免許を持ったメンバーが二人増えた。高高校を卒業した二人は、高校生の内に車の免許を取得していたのであった。
さて、このときの移動運用の特徴は、今までバッテリーに頼り切っていた電源を、すべて発電機に任せたことだった。
正確に言えば、この前の全員参加可能な移動運用から発電機を導入した。
今までは電源すべてをバッテリーに頼っていたため、運用中にバッテリーが切れてしまって、代わりのものに交換している間に、せっかく確保したチャンネルをとられてしまうことも珍しくなかった。そんなわけでメンバーS三の家からものすごく重たい発電機を借りて、N山河軽トラックを出してくれて、それにこれらのたくさんの荷物を詰め込んで、筑波山まで行った。
 朝6時に俺の家の近くの某駅に集合して現地に7時頃についてみると、どうも周波数はあいているらしかったが、アンテナや発電機を広げるいい場所が見つからなかった。でも、せっかく軽トラックまで使って、重たい発電機を用意してきたので、そう簡単にあきらめるわけにはいかなかった。
そこで軽トラックの運転をしていたN三は、おもむろに車を降りると「通行止め」とかかれた看板のそばにある車止め用の鎖を外し、その中にある広場に車を乗り入れてしまったのだった。
もちろんそこは通行止めになっている場所だから、他の車が入ってくるはずもなく、思う存分アンテナを張り、キャンプ用のテーブルとパラソルまで持ち出して、思い切り羽を伸ばしてしまった。
ところが、お昼の時間になってバーベキューをやっていると、どこぞの見知らぬおじさんがやってきて、説教を食らう羽目になってしまった。
しかし、そんなくだらない人との出会いばかりではなかった。
休みの日の筑波山というのは、結構ハイキングに来る人が多く、その中に俺たちの無線に興味を示して話しかけてきた家族がいた。「この無線ってどこまでと文ですか」というので、短波の無線機を見せて、Sさんがロシアと更新しているところを見せると、その家族はものすごく感心して驚いていた。
とか言いながら、実はこのときSさんも初めて外国と繋がったのだ。
 国内と通信するつもりで日本語でCQを出していると、ロシアの局がいきなり英語で話しかけてきてしまったので、同背だからと勢いで通信してしまったらしいけど、隣で聞いている俺は、結構はらはらしてしまった。
 このときの移動運用は今までになく開放感があって楽しいものだった。 みんなが受験を無事にやり遂げた喜びと、新しい生活への期待があったからだろう。ちなみにこれを境に、軽トラックを出したNさんは、この後もずっと軽トラックを出させられる羽目になった。

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