新聞屋


 きむ犬さんが俺たちの仲間に加わってから、高校生最初の夏休みが訪れると、俺たちは毎晩のように3.70に集まってそのまま夜を明かすようになっていた。
確かに前の年も、その前の年も、この時期になるとみんな暇なので夜遅くまで話をすることは当たり前だったが、この年は本当にすさまじい有様だった。
 夜になって集まるならその日はまだましな方で、すごいときには昼の1時頃からメンバーの誰かが出てきて話を始める。そしてその会話は、ひどいときには翌朝新聞屋がバイクの音を響かせて配達に来るまで続くのだった。
もちろん、この間ずっと同じ人たちが話をしているわけではなく、誰かが抜けたと思ったら違う誰かが話しに加わり、そして殺気加わった人が抜けたと思ったらまた最初に出ていた人が復活したりと、メンバーが入れ替わり立ち替わり同じ周波数で話していると言うことだ。
 このころの3.70集団は人数も多く、出力の強い無線機を持っている人もかなりいたので、ほかの局と懇親することはあっても、話を遮られることはほとんど無く、かなり快適な会話を楽しんでいた。
今になって考えてみると、よくもまあ、こんなに長いこと毎日話をしていて話のねたがつきなかったと思うのだが・・・。
しかし、やはり決まって最後まで残るのは、きむ犬さんと俺、そしてもう一人の中学生のO君だった。
そんな者だから、ほかの人たちが寝る時間になったとき、このメンバーがそろっていると、
「おい、おまえら今日も新聞屋か?」
と言われる程だった。

 この年はもっとすさまじいこともやってのけた。
夏休みといえばやはり無線の好きな人は、集まって東京で行われるハムフェアーというイベントに参加するのだが、この前の日にも同じような状態になってしまった。
その日は、夜の10時頃にみんなが続々と集まり始め、明日何時に何処で待ち合わせをするのかなど、必要な連絡をしていたのだが、話はいつの間にかとんでもない方向にずれていた。それは明日のハムフェアーでアンテナの部品を買ってきて、自作のアンテナを作ろうという話だったのだが、そのアンテナの材料とか作り方で、いろいろな議論に発展してしまったのだ。
気がついてみると、日付はとっくに変わっているばかりか、今から寝てしまうと、次の日、確実に寝坊をする人が出てきそうな時間になってしまった。
そこで、こうなったらみんなして徹夜で行こうと言うことになって、それからひたすらメンバーがマイクの前で寝てしまわないように話をつないで、朝6時に地元の駅に集合して東京に向かった。
なぜこんなに早いのかというと、早く行かないと、いい物はあっという間に売り切れてしまって、せっかく東京まで来た意味が無くなってしまうからだった。
前の年来たときには、ちょうど夏のアニメのイベントとぶつかっていたため、東京駅から高速バスが出ており、それが一番安くいける方法だったので、今回もバスで行こうと思っていたのだが、やはり高速バスはアニメフェアーの時しか出ない者らしく、仕方なく普通の有明行きのバスに乗ったのだが、何処で降りていいのか全く分からず、一つ前のバス停出降りてしまったため、着くのが予定よりも遅くなってしまったが、何とかテープカットの前には会場に到着することができた。
 会場に着くと、俺たちは我先にと白杖で人混みを蹴散らしながら、出店している店の中をのぞいて回り、きむ犬さんが念願のモービル機を買うことができた。
会場には、きむ犬さんと俺、そしてSさんという女の子ともう一人大学生のお兄ちゃんの4人で行ったのだが、現地で初めてにゃすこさんと会うことができた。
にゃすこさんは無線で聞いて想像していたよりも背が高くてまじめそうな人だった。そんなわけでせっかくだから一緒に回ろうと言うことで、5人でいろいろなブースを見て回っていると、なんと今年は会場内で「ミニFMのデモンストレーション」をやっているクラブがあった。
もちろんFM大好きなTomG君、すぐにそこの技術の方とお話しして、送信機の話やミキサーの話など、かなりマニアックな話を聞くことができた。
 お昼頃になって、さすがにみんな前の日から寝ていないので疲れてきてしまい、そろそろ帰ろうかと言うことになった。しかし、イベントはこれで終わったわけではなく、これから俺たちは秋葉原の電気街を経由して帰ってきたのだった。
それにしても今考えてみると、徹夜で東京に行って、その日の夜は買ったばかりの新しいミキサーで遊んでからまた1時頃までむせんで話していたんだから、この当時の俺たちは相当の勢力があった。

 こんな生活をしていた性で、高校生最初の夏休みが終わる頃には、すっかり生活が夜型になってしまい、直すのがかなり大変だった。


次へ

俺とアマチュア無線の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る