あきらめかけていた無線


 そんなわけで俺はそれから、寄宿舎ではトランシーバーとミニFMラジオにはまっていった。でも、俺は大きな問題を抱えていたのである。
 それは休みになると友達と遊べなくて暇なことであった。ご存知の方も多いかもしれないが、盲学校というのは大体一つの県に1〜2校しか無い(北海道と東京を覗く)。そんなわけで生徒は県内各地から通学しているのだ。その中で遠くて通学が困難な人が寄宿舎に入舎していたのだ。だから夏休みとなると、小さいときから盲学校しか行っていなかったTomG君は、何時も「つまんない、つまんない」の連続だった。
 それでも何とか中学生になるまでは、いろいろと(ほとんどラジオかごろ寝か兄貴との魚鳥)などしてすごしていたのだ。
 そんな小学6年生の3月、母ちゃんの実家のおじさんが俺の家に遊びに来た。そのとき、俺は思い出したのだ。そのおじさんは昔からトラックで仕事をしており、そのトラックには無線機が積んであったのである。そして実は、一度だけ内緒でその無線でしゃべらせてもらったことがあったのだった。しかもその2週間前に、ワイドショーで「4歳の女の子がアマチュア無線の免許を取得」なんてニュースが流れていたのだった。そこで無謀にも、親たちの話に割り込んで、そのおじさんから無線についていろんな話を聞くことができた。無線はある程度の距離なら電波が届くので運転中眠くなったとき、同じ仲間と楽しく話すことができる、それに無線機のスイッチを入れれば、知らない人に気軽に話し掛けることができる・・・。そのどれもこれもが、俺にとって夢のような話だった。視覚障害者というのは、歩行に不便を感じている。だから外に出ることなく楽しくおしゃべりのできる無線は、俺にとって魅力的なものだったのだ。しかも無線なら今まで「怒られていた」電話代を気にせずに思う存分友達と話ができるのである。
 そこで俺は両親に「無線やりたいぞ!」と宣言した。ところが、俺の両親は「目が見えなくて今でも家の中に閉じこもりがちなのに、これ以上孤独になってほしくない」といって猛反対したのである。
 でも、俺はこの「無線」をあきらめることができなかった。
 そこで最後の手段に出たのである。

次へ

俺とアマチュア無線の目次へ戻る

トップページに戻る