いよいよ試験そして踏み出す一歩


 そんな風にいくら一生懸命勉強しても、俺の中での試験への不安は治まらなかった。そんな中、1994年8月19日、その日がやってきたのである。
 朝起きて家を出発してから会場の「日本無線協会」につくまでの間、俺は熱心に問題集のカセットテープを聞いていた。今更と思うかもしれないが、そうでもしないと落ち着かなかったのである。
 俺達視覚障害者の試験は、その日の午後に行われた。だからもちろん飯なんか喉を通らなかった。今考えてみるとあんな簡単な試験にここまで気合を入れなくても良かったような気がする。でも、これは俺にとって最初の「挑戦」だったのかもしれない。ロビーでひたすら参考書を読みふける耳には、午前中に受験した小学生らしい3人組が「わ〜い、受かった〜〜!」と絶叫している声が重くのしかかってきていた。
 いよいよ試験が始まる少し前になったころ、俺の後ろで白杖の音がした。そして「こんにちは、どちらからですか?」という声がかかった。そう、その人もこの日受験する仲間だったのだ。しかも話を聞いてみると、同じ中学生だった。そんなことをしていると、いよいよ試験の時間になった。
 俺たちの試験は、通常のマークシートではなく、試験官の出す問題に口頭で答えるものだった。だから選択肢を丸暗記するわけにはいかなかったのである。しかし、勉強の甲斐あって、ほとんどすらすらと答えることができた。しかもうれしいことに、試験官は、
「もう一度確認しましょうか?まあ、でも問題無いでしょう」といったのである。つまりほとんどその時点で合格したようなものだったのだ。
 そこで早速帰りに協会の1階にあるちょっとした売店で「申請書類」を買って帰ってきた。
 そして1週間後、念願の合格通知が届いたのである。
 それからすぐに俺は、免許証を申請した。アマチュア無線の免許証は、申請してから届くまでに少し時間がかかるのだ。だから早めに申請しないと、届くのが遅くなってしまうのである。

 そして、俺は夢にまで見たハムの免許をついに手に入れたのである。
 それから2・3日後の土曜日、俺は学校帰りに親父と無線機を買いに行った。そこで俺はどの周波数の無線機を買うべきか悩んだ。ハムショップには俺の思っていた以上のさまざまな種類の無線機が並んでおり、そのどれもが魅力的だった。短波帯の無線機をつけて通信を聞かせてもらい、遠く北海道からの電波に感動して「これがいいかなあ」なんて思っていると、今度は430MHzの無線機からは楽しそうに話している声も聞こえてきた。
 散々悩んだ挙句、俺は430MHzの固定器「FT-736」と、同じ周波数のハンディー気「FT-729」を購入した。これが俺のはじめての無線機であった。
 しかし、せっかく無線機は購入したが、その日のうちに家に持ち帰ることはできなかった。それは俺にとって大事な「音声合成ユニット」がハムショップに無かったため、取り寄せて組み込まなければならなかった。

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