トランシーバーブーム


 小学1年生の夏頃だったろうか、孝君が家から1台のおもちゃのトランシーバーを持ってきた。
このトランシーバーは、電源スイッチと送信ボタン、アンテナ、そして「ピー」という音の出るブザーボタンだけのシンプルなものだったが、線がつながっていないのに片方のトランシーバーで話した声がもう片方のトランシーバーから聞こえるというこの不思議な機会に、私はすっかり目を奪われてしまった。
しかし、孝君にとってもこれは宝物だったらしく、他の人にはあまり触らせてはくれなかった。
 私はどうしてもこの不思議な機会で遊んでみたくて仕方が無くなり、その週家に帰ってすぐ父に、
「お父さん、トランシーバー買って」
と頼み込んだ。
私の家では大きなおもちゃを買ってもらえるのはお正月とお盆に限られており、そのときはこのおねだりは絶対にかなえてもらえないだろうと思っていた。
ところが父は、なぜか分からないがそのときすんなりと私にF1シーバーというトランシーバーを買ってくれたのである。
 このF1シーバーは、当時としては珍しく、アンテナが伸び縮みしないタイプのもので、その分コンパクトに仕上がっていた。
 私は買ってもらったトランシーバーを持って、兄と一緒に家の中を歩き回り、その日1日中遊んでいた。

 次の週寄宿舎に戻ると、早速私はそれを使ってみんなと遊び始めた。するとみんなもこれが気に入ってしまったらしく、つぎつぎと同じ機種を買ってきたのである。
おもちゃのトランシーバーというのは、2台セットで売られているため、そのうちに、たちまち小学部生全員が使えるだけのトランシーバーがそろってしまった。
もちろん同じ機種なのでみんなが一斉に電源を入れれば、電源を入れている人全員と話をすることができた。
 このようにして小学部全体にトランシーバーが広まると、男どもが何に使い始めたか?それは「悪知恵」である。
何か規則違反をやろうとすると、常に先生の動きを監視し、先生が来たら緊急体制で行動しなければならないこともある。そんなときにトランシーバーを使って各部屋ごとに連絡を取り合っていたのである。
もちろん悪知恵の次に考えつくのは「いたずら」である。
これを使って連絡の上先生を待ち伏せし、トイレの中に閉じこめてみたり、寒い冬の夜、中庭に出た先生をみんなで閉め出すといったようないたずらを数多くはたらいたのである。
 トランシーバーを使った遊びの中で、もっともはやったのが警察ごっこだった。
これは廊下を走っていたり、人のものを盗んだりした人を犯人にして、みんなで連絡を取りながら追いかけるという遊びである。
人のものを取って警察のお世話になる人はほとんどいなかったのだが、廊下を走ってパトロール中の警察官に見つかり、追いかけ回されたあげく逆立ちの刑になる奴や、牢屋に見立てたロッカーに20分間閉じこめられる奴はけっこういた。
犯人となるおそれがあるのは何も小学生だけではない。先生だって小学部棟の廊下を走っているところを警察官に見つかると、容赦なく全員が出動して追いかけ回される羽目になり、
「ごめんなさい。先生が悪かったです」
というまでロッカーの中に閉じこめられてしまうことだってあった。
大人で目の見える先生が、目の見えない小学生相手に負けてしまうのかと疑問に思うかも知れないが、みんな真剣に追いかけるし、トランシーバーを使っているので、作戦はこちらの方が採りやすかった。
たとえば、
「こちら101、こちら101、ただいま10号室前、○○先生がスピード違反、○○先生がスピード違反。全員出動してください」
「了解、102出動します。」
「同じく302出動します。」
のようにその日の朝決めた暗号を使っていたし、どうしても小学生の足で追いつかないとなれば、回り道して挟み撃ちにするといった具合である。
 私はこのトランシーバー遊びがきっかけとなり、もっと遠くまで電波の飛ぶトランシーバーが欲しくなった結果、アマチュア無線の世界へとのめり込んでいくことになる。


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