終わりに


 ここでは今まで私がどんな生き方をしてきたのか、そしてそれぞれの時代に私は何を考え、何に苦しみ、何を楽しみ、何に喜んできたかなど、覚えている範囲でできるだけ詳しく書いてきた。
 1981年9月26日にこの世に生を受けて以来、私は大変多くの人たちに支えられ、これまでやって来ることができたのだと感謝している。
盲学校の先生方には、きかん坊でいつもわがままな私を時にはしかり、時には優しく包んで頂き、いろいろなことを教えて頂いた。
クラスメイトを始め、盲学校の仲間には、いろいろと迷惑をかけた。そして、13年間ともにやってくることができてとても良かったと思う。
アマチュア無線の仲間には、普通の人の中でやっていけるだけの勇気と、人をまとめていくためのリーダーシップを教えてもらった。
そして今でもこのときの友達の一部の方とは良き相談相手でもあり、遊び相手でもある大切な親友だ。
BLPCの仲間達には、パソコンを通して組織運営の方法を教えてもらった。また、同じ視覚障害を持つ学生として、相談に乗ってもらったり、遊んだり、イベントを主催したりと本当にいろいろなことをやってきた。特に役員の面々には、いろいろと励まされたり愚痴を聞いてもらったり、面倒なことをやらされたり(これよけいかな?)している。
 最後になったが、私をここまで育ててくれた父と母には、何度感謝しても感謝しきれない。
私が生まれてから仕事が忙しい中、様々な差別にも負けずここまで育ててくれた。
私がやりたいと言ったことは大概のことをやらせてくれたし、悪いことをすれば本気で怒られたこともあった。
目が見えないことで意気地なしになっていた私の目をさましてくれるきっかけを作ってくれたり、何か私が興味を持つと、仕事で疲れているにもかかわらず、遅くまで説明書を読んでくれたり、私ができないことをどうやってできるか真剣に考えてくれた。
何度も引っ越しをして、そのたびに迷惑の書けっぱなし出ある。
今まで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしく御願いします。

 いよいよ来年からは私も社会の一員として生活することになる。
今までとは違ってすべてのことを自分で決め、自分の行動にはそれなりの責任を持たなければならない。
また、今まで盲学校という視覚障害者だけの空間で生活してきたが、来年からは逆に私だけが視覚障害者という、当然の空間に身を置くことになる。
これからどんなことがあるのだろうか?
おそらくいくつもの困難が待ち受けていることだろうと思うし、いくつもの喜びや悲しみが待っていることだろう。
来月からの新しい日々を、私は精一杯生きていこうと思う。
自分の夢を叶えるために。


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