俺だけの履歴書


 それは、2002年の年を迎え、冬休みが終わってすぐのことだった。
就職主任の先生から、
「2月前半に障害者雇用の経験のある企業の人事部の方をお招きして就職説明会をやるから履歴書を今月末までに提出してください」
というメールが来た。
そしてそのメールには、「これを使ってください」ということで、ワードで作られた履歴書のフォーマットファイルが添付されていた。
俺は「どうせこの添付ファイルの空欄埋めればいいや」とか思って、締め切りの3日前までほおって置いたのだが、いざ履歴書を作ろうとすると、あまりの難しさにびっくりしてしまった。

 まず、この添付ファイルで送って頂いた履歴書のフォーマットは、罫線などが入っていて、音声環境でこの履歴書の空欄を正確に埋めていくのは、ほとんど不可能と言ってもいいぐらいだった。
そこでそのことを先生に伝えて相談すると、
「全盲の人はこのテンプレートは気にしなくていいですよ」
とのことだったので、ともかくこのファイルのテキスト部分だけを抜き出して、必要項目を書き並べてみた。
 ところが、このとき俺は以下に自分が自分自身について知らないかを身をもって感じることになった。
まず俺が小学校を卒業した年が分からない。もちろん中学校・高校ともはっきり分からなくなっているのだから、もうどうしようもなかった。
こんな者は今の年から逆算すればすぐに分かるのだが、正式な書類だけに、算数大嫌いな俺は自分の計算に自信が持てなかった。でも、もちろん計算してその欄を埋めた後、「履歴書作成サイト」というのがあったので、それを使って念のため正しいことを確認したりした。
それから履歴書の欄に「賞罰」というのがある。俺は中学時代まではほとんど賞らしい賞を取ったことがなかったが、高校に入ってからはアナウンスやら朗読やら人権に関する作文やらと、一応あることはあるので、その賞を書こうとしたが、症状が手元にないので正式名称が分からなくて苦労することになった。
仕方がないのでそのときは何とかWeb[で検索して一部の者については分かったのだが、名称は分かっても、それが「第何回目の大会」なのかさっぱり分からなくて、実家に電話を入れて両親に確認してもらった利など、必要なデータをそろえるだけでかなりの時間がかかってしまった。
もう一つ俺の頭を悩ませたのは、自分の「短所と長所」だった。俺は自分の悪いところならいくらでも浮かんでくるのだが、こんなことを書いたら企業の人に一発で「不合格」を食らってしまいそうだった。さらに、「自分の長所ともなると全く思い浮かばなかった。
そこで次の日、その書きかけの履歴書を持っていって、先生に相談すると、短所は「がんばりすぎて無理をしてしまうこと」、長所は「人と話し合いをするのが得意なこと」ということで、ともかくこの欄は埋めることができた。
 さて、視覚障害者にとって最大の悩みである「文字のレイアウト」だが、まず前提として、俺たち視覚障害者が独力で罫線の入ったきれいな履歴書を作ることはおそらく不可能だと感じた。それは、ソフトの機能的にはそれを実現するものがあっても、実際のところそれを使って微妙なレイアウトを整えたり、入りきれない部分をどうやって処理して全体のバランスを整えるかなど、一人でやると非常に見栄えの悪い履歴書ができあがることはほぼ間違いないとの結論を導いた。
「それじゃあ見える人に手伝ってもらえばいいのではないか」と考える人も中にはいらっしゃるだろう。
しかし、就職先に自分をアピールするための一つとなる履歴書を、俺は人の力を借りることで作成したくなかった。
そんなことをするぐらいなら、いくら不格好でも、罫線無しで自力で作って「自分で一人で作った履歴書」として、、堂々と持参したいと考えた。
それに、ここで人の力を借りて罫線入りのすばらしい履歴書を作成して持っていってしまうと、企業の人は視覚障害者がこんなにすばらしい履歴書を自分一人で作成できる者と思ってしまう。
これは最初のうちはいいことなのだが、入社してから「本当はそこまで高度なことはできない」と分かったとき、自分は企業の人をだまして入社したことになってしまうと感じたからだ。
 そこで俺は、ともかく自分のできる範囲で罫線無しの簡単な履歴書を作成し、先生にそれをみてもらって、
「ここはこうした方がいい」というアドバイスをいただきながら第1号を作成して提出することにした。
 そんなわけで俺は、一般の人とは全く違った「自分なりの履歴書」を持って、これからの就職活動を進めていったのであった。


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