1981年9月26日の午前中、秋の晴れ渡った空の下、私はこの世に生を受けた。
私の母は、その前の年の5月、出産直前で一人の子を亡くしていたため、家族にとって私の誕生は嬉しいものだったに違いなかった。
その日の朝、母はいつものように5時に目を覚まし、朝食の準備や洗濯など、家の仕事をしながら、陣痛らしいかすかなおなかの痛みに耐えていた。
そんなにひどくもなっていなかったので、とりあえず家の仕事を済ませてしまおう。そう思った。
農家の嫁である母は、子供が生まれるからと言って長いこと休みを取っているわけにはいかない。私の祖母はとても意地悪で、常日頃から母に何やかんやといいがかりをつけては嫌がらせをしていた。だから家の仕事は最低でも済ませてしまわないと行けなかったと母から聞かされた。
そして8時を過ぎた頃、さすがに陣痛がひどくなり、病院に行くと、
「どうしてこんなになるまでほおって置いたんですか。すぐに生まれそうです」と言われて、すぐに分娩室に入ったという。
それから3時間後、私は産声を上げた。
父と母は私の兄が○和という名前だったので、すぐに思いついて私に「○和」という名前を付けた。後で聞いて私は憤慨したのだが、兄の名前を付けるのには1週間程度悩んだと言っていたのに、私の時は5分としないうちに「この子は○和だ」と決まってしまったらしかった。
もちろんそのときは、私の目が見えなくなるなどということは予想もしていなかった。