地域の子供達と同じ保育園に通い、その中でも特にいじめられることなど無かった私。それどころか保育園の中でも友達と喧嘩してもかみついたり髪の毛を引っ張ったりして相手を倒し、絶対に負けない強い子だった私。
先生に怒られることが一番多かっただろう私。いつも保育園に行くと泣いている他の家の子供を母が抱き上げ、「○ちゃんがいじめたの?ごめんねぇ」となだめすかし、その後車の中で大目玉を食らっていたぐらいのやんちゃ坊主。
そんな私だったから、自分が他の人と違うところがあるなんて全く気が付いていなかった。もし気が付いていたとしても、
「な〜んか大人の人は僕にだけ優しいときあるなぁ」
程度だったように思う。少なくとも私の記憶の中では、そのときまでは自分が他の人と違うところがあるなんて思ってもいなかった。
そんな保育園から帰って義眼をはずして洗ってもらっているとき、私は母に、
「お母さん、今度は僕がお母さんの目、洗ってあげるよ。」
といって、母の顔を触って目をはずそうとした。
すると母は信じられないことに、
「お母さんの目は外れないんだよ。」
というではないか。
当時私は目というものは誰でも外れるもので、汚れたらはずして洗わなければならないものだとばかり勘違いしていた。だから、このプラスティックの玉が本来何の役割をするかということは全く意識もしていなかったのである。
「なんで〜、僕のはとれんのに、お母さんのはとれないの?」
そう母に聞いたことを今でもしっかり覚えている。そのときの母の説明はこうだった。
「○ちゃんはね、ちっちゃいときに目に悪いものができちゃったの。それでね、お医者さんがその悪いものを取って、助けてくれたんだよ。だから○ちゃんの目は外れるけど、他の人の目は外れないんだよ。」
と教えてくれた。そのときは「ふーん、そうなの」と言ったきり、それがどんなに大きな意味を持つことなのか、私には理解することはできなかった。
そして、母もそれ以上の説明をしようとはしなかったのである。