チョコジュースの悲劇


 それは秋の終わりのある日のことだった。
校庭に出てアスレチックで遊んで帰ってきた私に、先生はおやつの時間にとチョコジュースをくれた。
何度かふれてきているかもしれないのだが、盲学校の幼稚部には10時におやつの時間というのがあり、その時間になると煎餅とかちょっとしたジュースなど、毎日何か食べさせてもらうのを私は楽しみにしていた。
そのとき先生がくれたチョコジュースは、私にとって初めての味で、甘くてとてもおいしいものだった。
そして、「明日の分もあるからね」といって先生はそのチョコジュースの入った入れ物を戸棚にしまったみたいだった。
 さてその次の日のこと、私のクラスに賢ちゃんという新しいお友達が遊びに来た。この賢ちゃん、これから私が盲学校生活をしていく中での一番の友達になる人だったりする。
賢ちゃんは私と同じ4歳で、来年からこの学校に来る予定になっており、その週から教育相談に来ていたのだった。
教育相談というのは、視覚障害者の両親が学校に子供を連れてやってきて、これからどうやってこの子を育てたらいいのかや、進学のことについて先生のアドバイスを受けることのできるシステムで、1回で終わる場合もあれば、賢ちゃんのように毎週来て相談を受ける場合もある。特に次の年から盲学校に入る予定の子については、毎週決まった日に教育相談に来る傾向が強いようである。
 私は新しい友達が来て嬉しかったことと、賢ちゃんとお話しするのが楽しくて、そのときは昨日のチョコジュースのことなどすっかり忘れてしまっていたのだが、その次の日になっておやつの時間、先生に
「ねぇ、おとといのチョコジュースは?」
と聞いてみると、「賢ちゃんが飲んじゃったの。ごめんね」
と言うではないか!
よく食べ物の恨みは恐ろしいと言われているが、まさにそのときの私の態度はその言葉ぴったりで、昨日はあんなに仲が良く、好きだった賢ちゃんが大嫌いになってしまい、次の週、賢ちゃんが来るのがいやになっていた。
そして、私の中で一時は「賢ちゃんは敵」という概念ができあがってしまったほど、そのときのチョコジュースの恨みは激しいものだった。
ちょうどそんなとき、NHKのみんなの歌で、
「賢ちゃんなんか嫌いだよ、もう、遊んでやんないかーらーね」
という音楽がかかっていたんだから笑ってしまう。でも、そのときの私にその歌はぴったりだった。
もちろん次の週賢ちゃんが来たとき、私はガキ大将ぶりを発揮し、すぐに喧嘩を挑んだのだが、以外にあっさりとやっつけてしまっていい気分になったことを今でも覚えている。ごめんねぇ賢ちゃん。
後になってチョコジュースを飲んだ本人に話を聞いてみると、「先生がくれたから飲んだだけだもん」とのこと。そりゃそうだよなぁ、いきなり私のものを奪うわけは無いような優しいやつなんだから。
 ちなみにこのことで、こいつはけっこう先になるまで
「あのときよくもチョコジュース飲んでくれたな」
と言われ続けたことを書き加えておく。


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