変な特技


 一般の保育園にいて、目の見えるたくさんの仲間達にもまれながら2年近く生活した経験のある私は、幼稚部の中では悪ガキだった。
進んで仲間にいたずらの指示をしたり、先生の考えつかないようなところで悪知恵だけははたらいた。
特に傑作だったのは、ちょっと目の見える仲間に校庭の蛙を捕ってこさせ、それを自慢そうに先生に見せびらかして悲鳴を上げるのを楽しんだり、先生が中庭に出たとたん、鍵を閉めて教室から閉め出してしまったりと、けっこうな悪事をはたらいていた。
自分で悪事をはたらくだけならいいのだが、仲間を巻き込んでそんなことばっかりやるので、先生も私にはほとほと手を焼いていたらしい。
 そんな私の悪魔のささやきにも屈せず、よい子であり続けたのはクラス唯一の女の子「さおりちゃん」だった。
彼女はクラスの誰よりも勉強も運動もでき、先生の言うことは必ず守るかなりの優等生だった。
だから私はことあるごとに先生から彼女と比較され、けっこう劣等感にさいなまれることも無いではなかった。
ところが、唯一私が彼女に勝つことができた先生からもほめられるに値する特技がある。それは「箱や包みの開け方」だった。
 おやつの時間、今までは先生がお皿にお菓子を開けて出してくれていたのだが、いつの頃からだったか飴でもチョコレートでもビスケットでも、包みのまま出されるようになった。私は母から「何でも一人でできるように」と、保育園に通っていた時期からお菓子の包みの開け方や箱の開け方、ジュースの缶の開け方まで何でも教えてもらっていた。
母は私がこれらのことを何度教えてもできなければ、包みのままお菓子を置いて仕事に行ってしまい、自分で開けることができるまで私はお菓子にありつけなかった。
これはお菓子に限ったことだけではなく、おもちゃを買ってくれても決して箱から出してはくれなかったし、冷蔵庫の中のものを取ってくれることもしなかったから、こういうものの開け方はしっかりと覚えていたのである。
さすがの優等生の彼女もこの「お菓子の開け方」については知らなかったらしく、おやつの時間になるとかなり悪戦苦闘していた。
そして先生に怒られ続けるのだった。
そんな奴らを尻目に、私はすぐにお菓子の封を切り、ちょっとずつうまそうに食べるのだった。
なぜ「ちょっとずつ」かというと、みんなが開け終わったとき、私だけ食べるものがなくなってしまうことの無いようにという理由だった。
 ところでこの先生、今になって考えてみると本当に鬼のようなやつだった。なぜ買って、もし開けられないのが分かっていれば、手を取って教えてあげればいいのに、ひたすら怒り続けるだけで、全く助けてくれないんだから・・・。
毎回助ける必要はないのだが、分からないと知っていたら1度ぐらいは教えてあげてもいいのにと思うのだが、この鬼は、いつもでかい声でキャンキャンと騒ぎ立てるのだった。
 さすがに私もそれを見ているとかわいそうになってきて、先生がどこかに行った隙に言葉でみんなに開け方を説明したりしていたし、他の先生はこのやり方を決して良く思っていなかったらしく、「怖い先生いなくなったから一緒にやろうか」といって手伝ってくれていた。


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