マラソンなんか大嫌い


 何処の学校でもそうだと思うのだが、冬場のいやな名物行事の一つに「マラソン大会」がある。
私の学校でもこれがあり、幼稚部生も参加しなければならなかった。
普通、幼稚園にはマラソン大会などはなく、何で僕らだけやらなければならないのかといつもいやで仕方がなかった。
それに私はこのころから運動が大嫌いで、特に走るのは嫌いだったから余計にいやな気持ちに拍車がかかっていたのだろう。
 しかも冬場になると毎日この練習をやらされるので、いっそう学校に行くのがいやになってしまった。
でも、普通やれといわれればしょうがなくやるのだが、当時の私は違っていた。いくら先生が引っ張っても走らず、賢ちゃんを巻き込んで2人で先生の腕におもりのようにぶら下がっていたのである。
 もちろんこれをあの鬼が見逃すはずもなく、毎日怒られることの繰り返しだったのだが、そのころになると怒られる免疫が着いてきてしまい、「ああ、 また怒ってる怒ってる」と、2人して全く反省などしない有様だった。
そんな私たちを見ているだけで、大人が手こずっているのがわかり、「大人に勝っている」と感じるのも小さいながらとても気持ちのいいものだった。
でもそこは大人、いつまでもこんな悪ガキに手こずっているはずもなく、ある日、本当に罰としてご飯抜きを食らってしまった。
しかも連絡帳という学校と保護者のやりとりをするノートにそのことを書かれてしまい、その週、家に帰ってから両親から大目玉まで食らい、さんざんな目に遭う羽目になった。
さすがにここまで来ると悪ガキも懲りたらしく、その後は嫌々ながらもまじめに走るようになった。
 ちなみに幼稚部生の走る距離は確か1000メートルだったように思うのだが、これは小さい私たちにとっていつまで走っても終わらないような長い距離に感じた。
ところで未だに謎なのだが、前の年、つまり私が幼稚部1年生の時はマラソン大会に参加したのだろうか。全く記憶がない。
 私たちの学校のマラソン大会は、近くの宇都宮市森林公園というところで行われ、全校生徒がバスに乗って会場に向かう。
不思議なのだが、こうやってバスに乗って向かっていたからだろうか、それとも別の場所に来てはしゃいでいたからだろうか、その日は妙にファイトがわいてきて、私はなんと一生懸命練習をやっていた奴らを抜き去り、幼稚部第2位になってしまったのであった。
その後ゴールでもらったポカリスエット、ものすごくおいしかったなぁ。
 ちなみにこの年2位になったからといって、今後私はマラソンが好きになるわけもなく、毎年この時期が来るたびに憂鬱になっていたのだが、小学校6年生の時に、今度は小学部で第1位になり、このときからマラソン大会は嫌いではなくなった。
それどころか中学部では早いほうになってしまったんだから驚きである。


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