いよいよ小学1年生


 昭和63年4月、私は栃木県立盲学校の小学部に入学した。
普通小学生になるというのはなかなか大きな出来事なのだが、私の場合、小学生になったとはいっても同じ建物の中の教室に移動するだけで、他にはほとんど変わったことはなかった。
もっと傑作なのは、担任の先生までもが幼稚部から小学部に異動になり、なんと引き続き1年生の担任としてまた私たちの面倒を見てくださることになっていた。
 こんな具合だから私たちクラスメイトは1年生になったという雰囲気を全くといっていいほど感じなかった。
たしかに時間割というものが渡され、それによって行動しなければならなかったり、教科書などという変な本を渡されたりしてそれに沿って勉強が進んだりしたので、生活そのものは変化していたのだが、先生も仲間もほとんど変わらないこんな状態だったので、すぐに新しい生活にも慣れたように思う。
ただしちょっと残念だったのは、10時にあったおやつの時間が無くなってしまったことである。
そりゃそうだ、小学校でおやつの時間があるところなんて何処を探してもないだろう。
このほかに大きく変わったのは、今まで3時間しかなかった授業が毎日必ず4時間はあるようになり、水曜日と木曜日は給食を食べた後でも授業がある「5時間目」というものが始まったことだった。
だが、不思議なことに、この年は4月いっぱいは学校に慣れるという意味で、校長先生が5時間目を5月からのスタートにしてくれていた。
 それからもう一つ、大きく変わったことと言えば、新しいクラスメイトが増えたことだった。幼稚部2年生のクラスは、私と賢ちゃん、さおりちゃんの他に一つ下の下級生が二人いた。
このまま1年生に上がってくるので、私を含めて1年生のクラスは3人だと思っていたのだが、もう一人弱視の女の子が入ってきたのである。
 綾ちゃんというその女の子は、とても元気な子で、すぐに私たちのクラスにとけ込んでしまった。しかし、これがまた私以上にかなりのやんちゃで、よく私とはとっくみあいの喧嘩をしたものだった。
結局、だいたい力は似たようなものなので、先生に止められてどちらが勝つということもなく終わってしまうことがほとんどだったのだが、そのたびに私は「今度こそは綾ちゃんを倒す」と心に誓うのだった。
 こんなやんちゃな綾ちゃんだったが、その反面とても優しい子で、私たち3人が何か困っていると分かれば、さりげなく手を貸してくれたし、迷っている人がいると絶対に放っておけない性格で、自分が授業に遅れそうなときでも力を貸してくれる暖かい子だった。
 さて、話は全く違うのだが、この日担任の桜井先生は私たちに、入学の記念品として点字紙を入れるための道具箱をプレゼントしてくれた。
この箱をどこから見つけてきたのだろうと思うほどにそれはぴったりと点字紙が収まるサイズで、本当に使いやすいものだった。
ちなみにこの箱、大学を卒業しようとしている今でも私の大事な点字紙ボックスとして活躍している。
おそらく他のクラスメイトも未だにこれを点字紙ボックスとして使っていることだろう。そう思えるぐらい、この箱はとても便利で思い出深い品物になっている。


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