お母さんって言わないで


 私のクラスには前で書いたように、この年から新しい仲間が加わった。
綾ちゃんというその子は、とても活発で明るく、私と良くとっくみあいをしたり遊んだり助けてくれる仲の良い友達だった。
 しかし、彼女にはとても暗い側面があった。それは、「両親がいない」ということだ。
何でもお父さんは、2歳の時にヤクザに殺されてしまったという話を来ているが、私には詳しいことは分からない。
 お母さんは学校に入学した当時はちゃんといて、入学式の日に私は彼女のお母さんを見た。
そして、「綾ちゃん、お母さん入院するからね」と言って帰っていったのを覚えている。私も詳しくは知らないのだが、彼女のお母さんは病気だったのだ。綾ちゃんは寂しそうな顔をしながらお母さんが見えなくなるまで何度も手を振って見送っていた。

 ところがそれは確か6月の中旬頃だったろうか、学校の行事で当時宇都宮市で開催されていた
「食と緑の博覧会、ユートピア栃木」というイベントに行って帰ってきたそのとき、教頭先生が綾ちゃんを呼び止めた。
そして、そばにいた私は、信じられない言葉を耳にしてしまったのである。
「綾ちゃんのお母さんが死んだ」
お母さん子だった私にとって、これは衝撃の事実だった。もしこれが私のお母さんだったらどうしよう。そう思うと悲しくていてもたってもいられなくなり、一目散に寄宿舎に向かって走り出していた。

 それから何日かして、学校に戻ってきた綾ちゃんに、最初私たちはなんと声をかけたらいいのか全く分からなかった。
でも、ともかく、お母さんのことにはしばらくふれてはいけないと思った。そのときは確か、1時間目に学級会の時間があり、私たちは先生がするのと同じように、いつもと変わらない雰囲気にしようと努めたように思う。
彼女も強い子だったので、心の中では寂しかっただろうが、決してそのことで涙を見せることはなかった。そして、数日もたつと、いつもの元気な綾ちゃんに戻っていたのだった。
 それから数ヶ月たったある日のこと、私と賢ちゃんは朝一緒に登校し、教室に入るなり、なんだかいきなりこの前の日曜日にお母さんと何をしたとかどうしたこうしたという話をしてしまった。
私たちは両方とも全く視力がなかったから、彼女が教室にいることに全く気が付かなかったのである。
気が付いたときには、彼女は大きな声を上げて泣き出していた。

「お母さんって言わないで。お母さんって言わないで。」

どうして私達はあのとき、全く気が付かないであんな話をしてしまったんだろう。その日1日中私達は、悪いことをしてしまったことで自分の心が痛かった。
そして私たち3人は、もう、学校では決してお母さんの話をしないことにしたのだった。


次へ

自伝の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る