夢を語る坊や


 私は今でも結構大それた夢を友人に話しては馬鹿にされたり変な目で見られることがある。
私としてはまじめに話しているつもりなのだが、聞いている方としてはばかげた戯言に聞こえることがあるのだろう。
今は本当に誰が聞いても実現不可能な夢ばかりは話しているつもりはないし、これらの夢には実現できそうな計画が無いわけではないと思う。
しかし、小学生の頃はとんでもないことを言っていた。それに加えて、「だったらいいのに」という言い回しではなく、「僕の家には○○がある」と誰が聞いても分かるような大嘘を平気で言っていたのだから呆れる限りである。

 その大嘘の数々は、テレビの漫画などからの影響を受けたものだった。特に当時テレビ朝日系で毎週土曜日の7時半頃から放送されていた「おぼっちゃまくん」という番組の影響ばかり受けていた。
たとえば、いきなり先生や友達を捕まえて、
「僕の家には大きな池があって、その真ん中に建っているのが僕の部屋で、いつも波に揺られ長船のように部屋が動くんだ」
と言ったかと思えば、次の週になると今度は、
「僕の家には177頭の馬がいて、いつも僕は馬に乗って遊びに行くんだ」
と言っていた。その程度ならまだかわいいのだが、もうちっとひどいのになると、
「僕の家にはお金をしまっておく倉庫があって、お年玉は持てないぐらい大きな札束なんだ」
とか言っていた。
一番自分でも笑ってしまう傑作は、
「僕の家の裏にはね、新幹線の駅があってね、いつもそれに乗って遊ぶことができるんだよ」
という、絶対にあるはずもないやつだ。
 今考えてもこれはばかばかしくてしょうがない。あのときどうしてこんな誰が聞いても分かるような嘘ばっかり言っていたのかと考えると、顔から火が出そうになるぐらい恥ずかしい。
ともかく私は、暇さえあれば自分の理想を語る坊やだったのである。

 そんな私を見て先生は半分呆れながらも信じたふりをして話を聞いてくれていたのだが、下級生の中には本気にしていた人もいて、自分はとても上手な嘘つきなんだと、なんだか訳の分からない充実感を味わっていたのだった。
しかし、いくら下級生とは言ってもあまりに私が大それたことばかり言うので、そのうちにこのお兄ちゃん何か言っていることがおかしいということが分かる事件が起きる。
友達のお母さんが私の家に遊びに来たのだ。もちろん私はこの時点で疑われていたので、その友達が週末お母さんにいろいろと聞いて、私の嘘がすべて暴かれてしまい、それが下級生に広まっていった。
結局私は「大嘘つき」というレッテルを貼られ、1週間程度誰も遊んでくれないと言う悲劇を経験してしまった。
 それ以来、私はこんな馬鹿なことを言わなくなったのだが、これは多分、小さいながらも自分を大きく見せたいという気持ちが強かったせいなかも知れない。


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