孝君


 この年、私は孝君という先輩と寄宿舎の部屋が一緒になった。
考えてみると、幼稚部1年生の時部屋が一緒になったお姉さん、そして幼稚部2年の時部屋が一緒になったお姉さんの二人とも小学6年生で、この年に一緒になった孝君も小学5年生だった。つまり私はこれまでかなり年の離れた上級生と部屋が一緒になっていた。
しかし、男の先輩と一緒になったのはこのときが初めてで、私は最初ちょっとだけ孝君が怖いと思っていた。
本来であれば先輩と表記させて頂くべきであるが、雰囲気上そのときの呼び方の方がいいと考え、あえてここでは孝君と書かせて頂く失礼をどうぞお許しください。
 しかし、幼稚部時代からガキ大将だった私は、そのうち孝君にも慣れてしまい、それどころかかなり悪知恵を仕込んで頂くというとんでもない道に走り出したのである。
といっても、特に人の迷惑になるようなことをやらかすということではなく、たとえば寄宿舎で禁止されているものを持ち込んだり、夜中に起き出してその辺に散歩に出かけるといったようなたわいのないことだったのだが、当時の私にとってはまるで「ギャング団の一員」にでもなったかのような気がして、とてもスリルのある遊びだった。
 特にやり遂げたとき充実感を感じたことの一つに「おやつ作戦」というのがある。
栃木県立盲学校の寄宿舎では、小学生が自宅からおやつを持ち込むことは禁止になっており、また、夕食後におやつを食べることもいけないことになっていた。
このおやつ作戦というのは、このおやつを食べてはいけない時間帯に、先生の目を盗んで自宅から持ち込んだおやつを食べるという、なかなかスリル満点の遊びだった。
おなかがすいたからおやつを食べるというよりも、先生に逆らっておやつを食べるというこの何というか、スリルがたまらなかったのである。
ちなみにもし見つかろうものなら、夜中であっても事務室に呼ばれ、反省文を書かされたり、酷いときには学校に連絡が行って宿題が増量されるというとんでもない結果になる。
ところが、先生によっては怒られるだけでその後おやつを取り上げられてすむ場合もある。もちろんおやつ作戦をやるのは前者の恐ろしい先生が泊まりの夜に限られ、孝君と私はミルキー飴に始まり、おさつスナックだの、サッポロポテトバーベキュー味などのお菓子を持ち込んでは、10時頃にわざわざ起き出してボリボリと食べるのであった。
幸いにも孝君の感と経験でばれることはなかったのだが、私はかなりどきどきしてよく「ねぇ今日はやめようよ」なんて言ったものだった。
すると孝君は、
「おまえなぁ、男だろう。情けねぇなぁ。それじゃぁ賢ちゃん達と一緒だ。もうそんな弱虫は俺の仲間じゃねぇよ。」
といって私を悪の道に引き込むのだった。
この言葉の中の「賢ちゃんと一緒」と言うところに私はメラメラと闘志を燃やし、それを聞くとすぐに孝君の後ろにくっついておやつ作戦をやるのだった。
 このほかに良くやったスリル満点の遊びは、9時頃からラジオで当時大流行だった「The Best10」というテレビ番組を聞くことだった。
一応寄宿舎では小学校5年生からラジオの持ち込みは許可されていたが、9時過ぎの使用は禁止になっていた。
だからこれも見つかればかなりの大目玉を食らい、その後1週間程度ラジオを取り上げられる結果になるので、スリルはなかなかのものだったのである。
 そんなわけで私は、孝君から先生の行動パターンや癖、そして先生ごとの性質などをこの1年間にしっかりと教えてもらうことができ、このことはこれからの寄宿舎生活を送る上で、どれだけ役に立ったか分からない。


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