突然の宣告


 地元の医院を出て、胸騒ぎを感じながらすぐに母は家に戻り、父と一緒にその紹介状を手に近くの眼科医院に出かけていった。
 診察室に入った私の目をのぞき込んだ医師は、すぐに地元の真岡市にある日赤病院に行くようにと両親に告げた。それがいい知らせでないことは十分承知していた両親だったが、治る病気であってほしいと、ただ願うばかりであった。
 しかし、そんな二人に日赤病院の医師が告げたのは、とても信じられないような一言だった。
「すぐに手術が必要です。すぐに手術をしなければ、この子は目が飛び出して2〜3日で死んでしまうかも知れません。もっと設備の整った自治医科大学付属病院を紹介しますので、すぐにそちらに入院してください」

 それからすぐにまた紹介状を手に訪れた自治医科大学付属病院で、様々な検査の結果、私は癌に冒されていること、すぐに両目を摘出してしまわなければ、本当に死んでしまうことなど、衝撃の事実を告げられたのだった。
それを聞いたとき、母は人に支えてもらわなければ歩けないほどに動揺し、父も涙を流していたと聞かされた。
 手術室から出てきた私を見て、両親はこの子をこれからどうやって育てていけばいいのか、毎日のように悩み続けていたという。  10階の病室の窓の外を眺めながら、どうかすると 「この子と一緒にここから飛び降りてしまおうか」
そんな風に考えたことも何度もあった。
 しかし、そんな中でも両親は、この子だってがんばっているんだから、生きているんだから、どんなにがんばっても育てていこうと決心したと話してくれた。
「この子が後になって生きていて良かったと思ってもらえるように育てよう」
そう考えて何があっても負けずにがんばっていこうと決心して病院を出てきたのだという。


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