退院の日 押入にでも隠しておきなさい


 そんな決意を胸に私を連れて退院してきた両親だったが、最初に立ちはだかっていたのは祖父母や親戚からの差別というとても悲しい現実だった。
 退院してきた私を、祖父母は全く抱いてくれないばかりか、親戚までも巻き込んで
「この子はうちの子じゃない」
「盲の子なんてうちにいた覚えはない」
などとののしったという。
 ここ数年はバリアフリーや福祉といったテーマが盛んにテレビで取り上げられるようになり、障害者についての理解は日増しに進んできているのだが、私が生まれた昭和56年頃は、まだ農家の立ち並ぶ田舎の実家では、「障害者は家族の恥」と思われていたのである。
そして、挙げ句の果てには、お客さんなどが家に来ると、祖母は何よりも早く母のところに行って
「早くこの子を押入にでも隠しなさい。恥ずかしいから。こんな子がいるって分かったら恥ずかしくてしょうがない」
と言っていた。
 母はそんな中でも、「この子は私の子です」といって、決して負けなかった。
父もそんな母と一緒に、何処に行くのにでも私を一緒に連れて行ってくれた。
今になって考えると、まだ家の中では祖父母が采配をふるっていた時期に、よく負けずに私を連れ出してくれたり、「うちの子です」といって、親戚の人の前にだっこして出てくれたりしたと、感謝の気持ちでいっぱいである。


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