シーキー軍団


 私が小学1年生の11月頃からだったろうか、寄宿舎でシーキー軍団といういじめに近い遊びがはやりだしていた。
これは、寄宿舎生全員をシー(勇者)、キー(悪魔)に分け、悪魔をやっつけるという構図で成り立っていた。
しかもかわいそうなことに、キーはいつも3年生の男の子一人だった。
つまり私たち小学部生は、一人の人を仲間外れにしていたのである。
 この遊びは確か、寄宿舎の一室が工作室として割り当てられた時から始まったように思う。
この部屋はそれまで、普通に生徒が生活する部屋として使われていて、机やロッカーなど、そのままの形で残されていた。
みんなこの部屋が工作室専用になったときから、すぐにその机やロッカーなどを自分のものとして確保しようとした。
しかし、机やロッカーをあわせても、当時の小学部生の全員分のものはなく、そのときにガキ大将だった先輩が、
「俺が読み上げたとおり机、ロッカーを配布する」
ということになった。そのときその子には、この机やロッカーの割り当てがなかったのである。
 この日から工作室は、工作室としてだけではなく、私たちの事務所のような役割を果たすようになった。
悪知恵の作戦会議もこの部屋で行われたり、非公式な小学部の会議もこの部屋で行われるようになっていた。
しかし、この部屋にデスクやロッカーのない人は、自然と仲間外れにされていってしまったのである。
そして、何をするのにでも「キーは来るな」とか、「キーにはやらせねぇよ」といったように、日に日にそれはエスカレートしていった。
その子がいじめられて泣く度に、みんなは面白がってもっともっとその子をいじめるのだった。
 しかし、みんながみんなこれでいいと思っていたわけではない。一部の人は「このままではいけない」と気づき始めていた。
ところが、もしキーの子の味方をすると、自分までキーに加えられてしまう可能性があった。
事実、その子の味方をした子が、「裏切り者」として隊長に処分され、1週間キーに入れられてしまったこともあった。
私もこれ以上キーのその子をいじめてはいけないと思っていたのだが、やはり自分がかわいかった。
その子の味方をしなければという理性は、もし裏切ったら仲間外れになるぞというささやきに勝てなかった。
こうしてこのいじめは、次の年の4月までの約4ヶ月間続いてしまった。
4月、自然と小学部の世代交代が行われた入学式の日、私と賢ちゃんの二人は、低学年全員を集めて、シーキー軍団を解散しようと持ちかけた。
「ねぇ、僕らみんなでシー軍団やめようよ。あの子がかわいそうだよ。」
するとみんなは一斉に「そうだ。やめよう。」と言ってくれた。
もしこんな事を言って仲間外れにされたらどうしようと思っていただけに、これはかなり勇気のいる提案だった。
でも、結局みんな「いけないこと」だと思っていたのだ。
その後私たち低学年全員は隊長の部屋に
「僕たちシー軍団やめます」
と言いに言った。隊長は怒ったが、そのとき、誰も隊長につく人はいなかったので、 止むを得ずシー軍団は解散ということになった。
そしてその日のうちにキーになってしまっていたその子を呼んで、みんなで謝った。
するとその子は、嬉しそうな顔をしてこう言った。
「みんな、一緒に校庭で遊ぼう」と。
それから私たちは、今までのいじめが嘘だったように、日が暮れるまでずっと校庭を走り回って遊んだ。

 あれからもう10年以上の月日がたった今、テレビのニュースでいじめや不登校のことが報道されるたび、私はこのことを思い出す。
そして、みんな勇気を出して欲しいと思うのである。
だって、いじめが良くないこと、いじめられている人がかわいそうだって思っている人は自分だけじゃないんだから。


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