なぜか解剖学


 私は小さい頃からいろいろなことを広く浅く勉強するのが好きだった。
だから、大人から見ると「何でこんなに小さい子が」と思うようなものに興味を持つことも珍しくなかった。
その代表例が解剖学である。
 小学校1年生の社会の時間に、偶然学校の理療科の解剖室に見学に行ったことからそれは始まった。
その日、骸骨の模型や心臓の模型を見て、人間の体の仕組みに興味を持った私は、解剖室の先生を独り占めにして話を聞いてみたくなってしまった。
そこで、寄宿舎に戻ってからもう1度学校に行って、先生の時間のあるときにじっくり話を聞かせてもらったのである。
 そのときに私に解剖学を説明してくれたのは福本先生というこの学校ではベテランの先生で、肺の仕組みや心臓の仕組み、骨の仕組みに至るまで4時間ぐらい細かく説明してくれた。
そうするとどんどん疑問がわいてきて、寄宿舎に帰ってからその疑問を整理し、廊下で解剖学の先生を捕まえてはいろいろな質問をするのだった。
しかし、小学部生が解剖室に行く機会はなかなかなく、時々解剖学の先生に廊下であうぐらいだった。
 4年生になった頃、私は、実際に動物を解剖して研究したくなり、当時中学部にいらした学校でも有名な解剖が大好きな熊倉先生を廊下で捕まえてその話を持ちかけた。
すると、その先生は、
「○○君、それじゃぁ事始めは蛙だな」
といって、不気味な笑いを浮かべながら立ち去ってしまった。

 次の日のことだった。いきなり理科の時間に担当の先生が現れたかと思うと、
「えー、皆さん。熊倉先生が蛙を捕まえましたので、これから解剖します。理科室に行ってください」
と告げたのだ。まさか本当に蛙を捕まえて、しかも次の日に解剖を企画するなんて思っていなかった私は、最初ちょっとびっくりしたのだが、すぐにみんなで解剖室に言った。
 するとそこには熊倉先生が、蛙の入った水槽の前に立って説明をしているところだった。
そう、この解剖大会には小学部の他の学年の生徒も呼ばれていたのだ。
そして熊倉先生の取り出した蛙のでかいことでかいこと。何処でこんな大物を捕まえてきたのか知らないが、今まで触ったことのある蛙の中でも有数の大物だった。
しかもこの大物、1匹だけではない。なんとこんなでかいのが3匹も水槽の中で泳いでいたのだ。
熊倉先生はその中から1匹を取り出すと、いきなり一人一人の手に握らせ、
「蛙に耳はあると思いますか?」
と聞いた。私たちは帰るも他の蛙が鳴いていると泣き出すので耳はあると思ったのだが、具体的に何処にあるのかというところまで頭が回らなかった。
次に先生は、蛙のおなかを上にして台の上に置くと、小さな声で、
「蛙さん、寝なさい寝なさい寝なさい」
などといいだした。すると不思議なことに、蛙は動かないでそのままじっとしているのだった。
 さて、そんなことをしたあと、いよいよ蛙の解剖に入ったのだが、蛙だって解剖されたら痛いだろうということで、エーテルという麻酔薬で蛙を眠らせて解剖したのだった。

 実はこの後、私たちのクラスは理療科の豚の解剖にまで呼ばれたのだが、さすがの私もそばまで行ったときのにおいに耐えられず、これには参加しなかった。
クラスメイトの皆さん、大変ご迷惑をおかけ致しまして、申し訳ございませんでした。


次へ

自伝の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る