ラジオとの出会い


 私が4年生になった頃から、寄宿舎生の間で盲人野球(正式名称グランドソフトボール)がブームになり始めた。
これは地面を転がってくるボールをバットで打つこと以外、普通の野球とほとんど変わらないのだが、全盲の人がボールを取るとすぐにアウトになるというルールがある。
 しかし根っからのスポーツ嫌いだった私は、ほとんどこの野球には参加しなかった。
その間何をしていたかというと、野球の嫌いな友達と遊んだり、ひたすらラジオを聞いて過ごしていた。
先生はそんな私を見て、
「本当は寂しいんじゃないの?」
とか、「意地を張っていないでみんなと一緒に野球やろうよ」
と言っていたのだが、私は本当に寂しいとは思っていなかった。
それよりもラジオを聞きながら、自然と自分がアナウンサーだったらどんな番組を作るだろうと想像するのがとても好きだった。
それからこういう放送をやっているところのラジカセは、どんな形をしているんだろうとか、ラジオ局のマイクはどうしてスイッチを入れても「ぷつん」という音がしないかなど、考えているだけで楽しかったのだ。
 そんなある日、寄宿舎の生活経験拡大外出という行事で、栃木放送を見学に行くことになった。
それを聞いてから、私はその日が来るのをとても楽しみにしていた。
実は私たちの前に、5、6年生の人たちが栃木放送に行ったときは、スタジオの中まで入れてくれて、マイクの前でアナウンスまでさせてもらったと聞いていたからだ。
 期待に胸をふくらませて迎えたその日、栃木放送の入り口を入ると、総務部長さんが長い時間をかけて、局内を丁寧に案内してくれた。
そこには私の想像を遙かに超えた難しそうな機材が所狭しと並んでいた。
中でも魅力的だったのは、「カフスイッチ」だった。
これはマイクの横に置いておく小さなボリューム調整装置で、一番下に下げるとマイクの音は全く聞こえなくなる。
そうなのだ。私が最初に抱いた疑問、「何でスイッチを切ってもぷつんという音がしないのか」がこれで解決されたのである。
ラジオ局ではマイクのスイッチを切るのではなく、ボリュームを0にしてマイクをオフにしていたのだ。
マイクのスイッチをいかにして音がしないように切るかを研究していた私にとって、これはコロンブスの卵的な愕きだった。
また、それまでに見たことの無かったオープンリールという大きなテープを、再生し終わったら自動的に交換する機械など、こんなものがあるなどということすら思いつかないような機械まであった。

 この日から私は、いっそうラジオの世界にのめり込んでいき、5年生になる頃には「ラジオお宅」というあまりありがたくない称号をちょうだいすることになってしまったのである。
そしてこのことは、今後私をミニFMの世界にのめり込ませる大きな第1歩となるのであった。


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