突然のプレゼント


 小学校5年生の9月、いとこがとてもいいミニコンポを買った。
私はそれを見て、こんなものが欲しいと思ったのだが、16万円というその値段を聞いて、小学生には贅沢すぎるし、そんなことを頼んだ時点でどんなことになるか分からなかったので、すっかりそのことについてはあきらめていた。
その代わりに、いとこのいる母の実家に遊びに行っては、いつもそのコンポを貸してもらって遊んでいた。
 そのミニコンポは、音質がとても良く、スピーカーも3つの内の1つが部屋全体に音が広がるように少し外側を向いて取り付けられていた。
もちろんそのミニコンポを使って私がやりたいと思っていたこと、それはラジオ番組作りだった。
ラジオ番組を作るためには、ミニコンポのほとんどの操作をマスターしていなければならず、当時の私の実力では、一つの番組を作るのには最低でも3時間ぐらいはコンポの前に張り付いていなければならなかった。
さすがに母の実家に言ってそんなに長い時間、いとこのコンポを占領しているわけにはいかず、ラジオ番組を作りたいという私の思いは日に日に強まるばかりだった。
そしてたまらなくなって、とうとう私は母に
「ミニコンポ欲しい」
と言ってしまったのである。
その瞬間、私は母の平手打ちが飛んでくるかと思ったのだが、そうではなかった。
そのとき何があってそうなったか定かではないのだが、なんと母はミニコンポを買ってくれるというのである。
そしてそれから1ヶ月、私は遅々と何度も電器屋を渡り歩いたあげく、ビクターの「ロボットコンポ」という、当時14万円以上したミニコンポを買ってもらってしまったのである。
 このコンポの特徴は、設定によって自動的にスピーカーの上の方にはめ込まれた小さなサブスピーカーが向きを変えるというものだった。
この特長を生かし、この機械には当時最新鋭といわれたバーチャルサウンド技術が搭載されていた。これはボタン一つで「ライブハウス」とか「ホール」などの音を再現するもので、これを使うと本当に自分の部屋がライブハウスやホールに出もなったかのように感じられ、私は一人でイコライザーをいじりながら、その音質に酔いしれていた。
 それからというもの私は、家に帰ってくるとずっとそのコンポの前に座って、イコライザーを弄くって遊んだり、マイクをつないでラジオ番組を作ったりと、釘付けになって遊び続けた。
そのおかげで何とかコンポのミキサー機能を使い、今までできなかった裏で音楽を流しながらトークすることもできるようになった。
また、編集機能を使って聞いている人にばれないようにうまくトークをつなぐこともできるようになった。
 そんなとき、私はテープレターなるものの存在を知った。
テープレターとは、紙の代わりにカセットテープに声を録音して送るもので、その方法で文通をしている人がいるという。
その当時私には、実は岡山県にペンフレンドがおり、小学校3年生の終わり頃から週に1度ぐらいのペースで手紙のやりとりをしていた。
その友達との手紙をテープに変えたり、他のペンフレンドを作ったりと、このコンポを使って私はすっかりテープレター文通にはまりこんでしまい、
そしてこのまま、ミニFMの道へとまっしぐらに進んでいったのだった。


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