カセットストライキ


 栃木県立盲学校の寄宿舎では、それまで、ラジカセの持ち込みは中学生からという決まりがあった。
その代わり事務室には貸し出しテープレコーダーというものがあり、カセットが聴きたいときはそれを借りに行って使うという風になっていた。
唯一、5年生からは携帯ラジオの使用は許されていたが、それも9時までの決まりになっており、8時過ぎはイヤフォンを使用しなくては鳴らなかった。
機械が好きだった私にとって、何よりもこの規則は不満でたまらなかった。
貸し出しテープレコーダーは8時までには返却しなければならなかったし、そのテープレコーダーも本当にテープが聴けるだけ、ラジオもついていなければCDなんてもってのほかだった。
テレビは各棟に1台置いてあるだけだったので、他の人が見ていると自分が見たい番組があっても見ることはできなかった。
また、小学生は特別な事情がある場合を除いて、テレビを見られるのは8時までだった。
このことからどんなことが起きてしまうか、そう、寄宿舎の中で生活していると、「世間の情報に遅れる」のである。
世の中ではとても有名になっているニュースも、私たちには聞くことができなかった。
 たとえば、私が小学校5年生の頃だったろうか、北海道で大きな地震があり、奥尻島という島全体が大津波に襲われる事件が起きた。
「あの有名な「北海道南西沖地震」である。
実はそのとき、私はメインのラジオの他に、サブのカードラジオを持ち込んでおり、それを布団の中に入れて、夜中でもこっそりとラジオを聞くことができたので地震発生直後に、大津波警報を知らせるNHKのニュースでかなり早い段階から分かっていた。
ところが、ほとんどの友達は、次の日学校に行って知ったとか、酷い人になると放課後に知ったなどという人がいるぐらい、寄宿舎の中は情報面から見れば陸の孤島だった。
 そんな条件がやっと改善されたのは、私が小学6年生になった春のことだった。
スピーカー1つでラジオとカセットのみを搭載しているものに限り、持ち込みを許可するというのである。
しかし、いくらあの時代でも、スピーカー一つのラジカセなどというものは、わざわざ買ってこない限り持っている人は少なかった。そこでまず私は、この「スピーカー1つ」の制約を取り払うべく運動を開始した。
それそのものはすぐに許可になったのだが、問題はこの使用時間だった。
一番大事な登校前の時間、カセットの使用が禁止になっていたのだ。
こんな事では絶対にいけないと言うことで小学部生は立ち上がった。
 朝のテープの使用が認められるまでがんばるの合い言葉をもって、先生に全面ストライキで対抗したのだ。ストライキ中は先生の言うことは全く聞かず、登校時間以外は寄宿舎の日課は守らなかった。
それに加えて毎朝デモ隊を結成し、紙で作ったメガフォンを片手に、
「朝のカセットテープの使用禁止、反対!
朝のカセットテープの使用禁止反対!」
といって寄宿舎内を更新し続けた。
酷いときには事務室に先生がいなくなったのを見計らって、私が代表で社内放送のマイクでそれを叫んだこともあった。
 こんな状況が1週間続いた水曜日の放課後、ついに先生の方から小学部長に対し、緊急部会招集の養成が来た。
小学部長は、それから1時間後に部会を招集することを約束し、その前にデモ隊長の私、低学年ガキ大将の某氏をあつめ、作戦会議を行った。
そして迎えた部会の席上、先生を全員奥側に座らせ、私たちは入り口側に陣取って、デモ隊長の私が、
「試聴が認められなければ先生をこの部屋からお出しすることはできません。私たち小学部の仲間に納得がいくように、きちんと説明してください。」
と宣言して対決は始まった。
しかし、先生方の説明は、到底納得のできるものではなかった。もちろん私たちはなんとしてでも先生をこの部屋から出さなかった。
外側に着いている鍵はトランシーバーを持った4年生が防御していたし、私はドアの前に立って高らかに「その説明では到底納得がいきません」を繰り返した。
窓側には低学年がバリケードを気づき、そこに集まった3人の先生方を完全にガードして外に出さなかった。
食事の放送がかかり、配膳のため先生方を招集する放送がかかっても、私と部長、そして副部長の3人は仲間に
「みんな、ここでご飯を食べに行ったら俺たちの負けになるぞ。先生の勤務時間を過ぎるまで絶対に動くな」
と叫び続けるのだった。
 そんな押し問答が3人の先生の勤務時間終了の7時過ぎまで続くと、さすがに先生方もお母さん、早く帰りたかったのだろう。
「分かりました。今回は認めます。認めますから早く出して」
とやっとのことで折れてくれた。
もちろんそのときの会話はすべてテープに録音されていたため、後で主張をひっくり返されるおそれがないと判断した私は、全員に対して解散を宣言し、この戦いは私たちの勝利に終わったのであった。


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