貘先生


 小学4年生になった始業式の日、先生方の親任式の挨拶を聞いていて、私はとても興味深い先生がいるのに気が付いた。
その先生は普通、「私は○○学校から参りました○○と言います」
とか、「今年から皆さんと勉強することになりました、○○と申します」
の様に挨拶するのだが、その先生はなんと
「小山市の病院から参りました森川と申します」
と挨拶した。
それまで私は先生というのはどこかの学校からやって来るか、新しく先生になった人が入ってくるものだとばかり思っていたので、何で病院から先生がやってくるのだろうと、ちょっと不思議に思ったのである。
教室に帰って担任の先生からの時間割の説明を聞いていると、私たちも森川先生の授業があるという。
どんな先生なのかと私はその時間を楽しみにしていた。
 先生の授業は養護訓練と算数の週に2時間あった。算数は普通の算数ではなく、この授業ではそろばんをやった。
森川先生は、秋田県出身のちょっと訛りのある優しい人で、私たちが分からないと言うと何度でも戻って教えてくれた。そろばんが苦手だった私にとって、これは非常にありがたいことだった。
担任の先生でもないのに、相談事があると何でも応じてくれたし、何よりも悩んでいる人を見つけるのがとても上手な人だった。
後で聞いて分かったことなのだが、森川先生は病院のケースワーカーとして働いており、その年から特殊学校の先生に転職したとのことだった。
 さて、その春から1年が過ぎた5年生の始業式の日、私は担任発表を見てとても嬉しくなった。
それは、森川先生が私たちのクラスの担任の先生になっていたからである。
誤解の無いように書いておくと、石島先生が嫌いだったわけではなく、うちの学校では2年以上同じクラスの担任をすることはほとんど無かったから、次の担任の先生がいい先生だったらいいと思っていたということだ。
 森川先生の授業の中でとても印象に残っているのは「6年生の社会」だった。
先生は歴史が専門と言うこともあり、教科書に載っていないところまでわかりやすく教えてくれた。
特徴的なのは、先生は授業の時、生徒に教科書を開かせる余裕のない程質問をしてくる。
たとえば、戦争になりそうな雰囲気の場面を勉強しているところでは、普段から声の大きな先生の声はさらに大きくなるし、雰囲気もなんだかせっぱ詰まってくる。
それからこの先生のいいところは、私たちが予測で答えても怒ったりしないことだ。教科書を見ていないことを前提にして説明してくれるので、私たちは先生の質問に対して自由な発想で考えて答えることができた。
その答えが間違っていても決して怒られることはなかったし、ありそうな答えを出すと、もしそうなったら歴史がどう動いたのかを予想してちょっとだけ話をしてくれるところがとても面白かった。
だから私たちは、中学の教科書に載っている程度の歴史は小学校6年生の時点でほとんど勉強していた。
 こんな風だから先生は私たち生徒からも好かれていて、貘先生の相性で呼ばれていた。
なぜ貘先生かと言えば、歴史の時間に生徒が夢のようなことを言うと
「そうだったらいいんだけど、歴史はそうは動かなかったんだなぁ。」
と言うので、「先生は人の夢を食べた」ということになって、夢を食べる動物「貘」というあだ名になったのである。
 そんな感じだったので、先生はクラスの中のことをよく知っていたし、何かまずいことや悩み事があると、みんな先生に相談できたので、その2年間は本当に楽しい2年間だった。
ただ一つ、貘先生にも欠点がある。
それは、男女不平等なことだ。
全く何で同じことをして男二人は怒られて、女の子は怒られないんだろうなぁ。


次へ

自伝の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る