いよいよ中学生


 そんなこんなで迎えた中学部の入学式の日、やっぱり私は憂鬱な気持ちになりながら学校の門をくぐった。
しかし、そんな私にまず一つ目の幸運が訪れた。
それは、私たちのクラスの担任の先生が、中学部の中でもっとも生徒から人気のある優しい先生だったことだ。
私はその先生を全く知らなかったのだが、一つ上の先輩方が教室にやってきて、
「おまえらのクラス湯本先生が担任か。天国だぞそれは。」
と言ったことで、私は相当安心した。
そして、本当にその先生は優しくて元気な女の先生だった。
 中学部にはいると今までになかったようなちょっとしたことで怒られると思っていた私にとって、担任が湯本先生だったことで、かなり気が楽になった。
それに加えて、副担任はあの解剖の大好きな熊倉先生だった。
また、寄宿舎の方では気の合う先輩と一緒の部屋になったことと、なんと、いつも生徒の味方をしてくれる佐々木先生が担任になっていた。
 しかし、やっぱりといった感じだったが、次の日行われた部活の説明会が私の気を重くした。
やはり部活には形式上入らなくてもいいとされているのだが、雰囲気的に運動部には全員所属となっていた。
文化部もあったのだが、木曜日の1日だけで、最初のうちは体力作りに当てると言っていた。
最初のうちはこれが本当につらかったのだが、やっているうちに
「しょうがないか」程度のものになってきた。
 もう一つ、部活の他にとんでもないものがあった。それは国語の授業である。
この先生は自分の機嫌で生徒をしかりつける先生で、本当に油断も隙もなかった。
昨日はかなり面白い授業をしていて「ああ、この先生も捨てたもんじゃない」と思ったら、次の日にいきなり機嫌悪そうに教室に入ってきて、いきなり
「今日から新しいところに入ります。」
といって、いきなり教科書を音読させ、読み方がへたくそだと
「あなた達、今日から新しいところに入ることも予想できなかったの?」
といって怒られたりした。
だから私たちは怒られないように、明日は次に進むかどうか授業の最後に日直が必ず先生に聞くようになった。
 もう一つ面倒だったのは週番だった。
週番になると係の生徒が毎朝全クラスの欠席と遅刻を確認し、担当の先生のところに報告に行かなければならなかった。
また、週番日誌を書かなければならず、これに一つでも記入ミスがあると、何回でも最初から書き直しになるのだった。
もちろん1年生は最初の頃書き方が分からないので、上級生に教えてもらうのだが、同じ班の上級生が点字を余りよく知らないと大変なことになった。
 こんなことばかりを書くと学校ではいやなことしかないように思われてしまうかもしれないが、社会の授業と理科の授業はとても楽しかった。
社会は担任の湯本先生で、雑談になると止まらなかったし、本当に話の好きな先生で、世界の地理に関する興味深い話をよくしてくれた。
たとえば、一般的に砂漠というのは熱いイメージがあるが、日中でもそんなに熱くならない砂漠もあるという話は印象的だった。
理科の熊倉先生は、本当に実験の大好きな先生で、時々自分の作った実験道具を見せてくれながら、ガス爆発などの変わった実験をするのだった。
それから熊倉先生は紙の上の授業よりも観察など、実際にふれて体験できる授業が好きだったので、とてもこの授業は面白かった。
 そんなこんなで私の中学生生活は幕を開けたのである。


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