先生のためにがんばっていたんです


 私は運動が大嫌いで、それでも仕方なく部活をやらせられていた。
そんな感じだったので、1年生の時に茨城の盲学校にバレーの試合で負けたときには全くと言っていいほど悔しくなかった。
はっきり言ってバレーなんてやらされているからやっているようなもので、決して好きでやっているわけではないと、部活の時常に思っていたから、隙を見てはいつも手抜きをしていたし、先生が出張の時は絶対に練習には出て行かなかった。
また、家が遠いことを理由にして、金曜日などの帰省日は、しっかりと部活を休んでいた。
ところが、このバレー部が、中学2年生の時の大会で、なんと3位になってしまったのである。
これは一見嬉しい話に聞こえるかも知れないが、運動嫌いな私にとってははっきり言って災難以外の何でもなかった。
それというのも、この3位獲得のせいで、顧問の先生が張り切りすぎてしまって、寄宿舎生は朝練をやると言い出したり、本当は4時半までのはずの部活を毎日5時半までに延ばしたりと、本当に私にとってはいやな状況が続いた。
さすがに他のメンバーにとっても、朝練はいやだということで、ある日、みんなでストライキを起こし、朝練にも放課後の練習にも行かなかった。
もちろんこのときの先頭を切ったのは私だったのだが、私は本当に運動が嫌いだったので、「今回ストライキの代表のやつ、俺のところに来い」という監督からの呼び出しに素直に応じ、はっきりと、
「私たち部員は、朝練までして強くなりたいとは思っていません。
今まで何とかやってきたのは、先生の喜ぶ顔が見たかっただけです。
でも、さすがにここまで張り切られてしまうと、とても私たちはついていけません。いや、私個人的にはここまでやりたくありません。」
と宣言してしまった。
すると監督の先生は、
「そこまで言うならもういい。朝練も放課後の練習もすべて無しにする」
と言うことになった。
監督は結構恐ろしい人だったので、もしかすると1発ぐらい殴られる覚悟はしていたのだが、まぁ1発殴られる方が、これから毎日のように朝練をやらせられるよりずっとましだと思ったので、もし殴られたらでかい声で「先生に殴られた〜〜」と言いながら校長室に走って行く計画だった。
しかしさすがに私も言い過ぎてしまったと後悔して、次の日に先生のところに謝りに行ったのだが・・・。
さすがに「先生のためにがんばっていたんです」って言うのは言い過ぎたと今でも反省している。

 次の年の4月、離任の先生の中に監督の先生の名前を発見したときには、もしかすると私があんなことを言ったからこの学校がいやになってやめてしまったのかと思ったのだが、これは県の方からの人事異動だったと後で知って安心した。
またその代わり、他の学校から新しい先生がやってきた。
その先生は部活に対してはそれほど情熱のない先生で、練習もそんなにきつくなかったし、ちゃんと時間を守って部活を終わりにする先生だったので、3年生の年は非常に楽な部活だった。
ちなみにその先生、実はアマチュア無線の免許を持っており、授業中無線の話になると止まらないような感じだったりした。


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