いじめ


 中学3年になった春のこと、私は専攻科3年の先輩と寄宿舎の部屋が一緒になった。
この先輩は見た目非常に優しそうな人なのだが、実は私はこの先輩からいじめられることになる。
そんなに陰湿ないじめでもなかったが、私ははっきり言ってこのことでは心も体もぼろぼろになる手前だった。
幸いにも私は助けを求めることができたのだが、いじめで自殺する人の気持ちがどんなものなのか、このとき分かったような気がした。
 始まりは1学期の中間テストのこと、私はいつものようにテスト前そんなに勉強もせずに遊んでいた。
すると先輩が、いきなり私のそばに来て、
「おまえ今度のテストで合計が300点以上行かなかったら鍼でお仕置きしてやる」
と言い出した。私ははっきり言って鍼は嫌いだったので、それを聞いてけっこう勉強したのだが、はっきり言ってこれまでほとんど何もしていなかったので、そのときの点数はわずかに300点には及ばなかった。
そして結局本当にお仕置きされる羽目になり、それからテストの前になるとテストそのものの憂鬱と、できなかったときのお仕置きの憂鬱が重なって、眠れないぐらい悩む日々が続いた。
このままではいけないと思い、私は当時担任だった「福島信彦」先生に相談したのだが、先生は事もあろうに先輩の味方をして、次のテストの後、私の点数がまた、わずかに300点を超えなかったことを先輩に言ってしまったのである。
今考えても生徒の点数を先輩にしゃべってしまうとは、はっきり言って先生失格だと思うのだが、ともかく私はこれに対して抗議した。
すると、先生はいきなり逆ギレして、
「俺がおまえらのこと考えなかった日があると思うか?」
などとどうでもいいことを言い始めた。しかもそれから延々1時間ぐらい説教を食わされる始末。このまま行くと給食を食べられなくなりそうな雰囲気だったので、ともかくその場は納得したふりをして、「鍼を使っていじめる先輩がいる」ということを、理療科の先生に報告した後、その週の金曜日、家に帰ってからすぐに母にいじめられていることを打ち明けた。
先生に相談してもらちがあかなかったこと、それからこの先輩には他にも恨みがあったので、どんな方法でも絶対に私は引き下がらないと心に決めていた。
もちろんその話は母から寄宿舎指導員長と学校の寄宿舎係の主任に行き、先輩はそのことでみっちりと説教を食らったあげく、1週間ぐらい謹慎を食っていた。
その後も先生からけっこう監視されていたようだったが、とりあえずこれで先輩のいじめは無くなったので、私は相当気が楽になった。
 それにしても当時私の担任をしていた先生、本当に頭に来る。
いわばこの先生の行っていたことは、
「いじめられるおまえが悪い」と一言で言ってしまっても間違いではないほど話にならないことだったんだから。
 でも、この先輩はこのことを除いてはとても優しい人だった。
そして男子棟の生徒からもとても好かれていた。

 いじめといえば中学生時代、私は後輩からいじめに関する相談を受けたことがある。
その後輩は私とはかなり親しい仲だった。この後、私のミニFMで1年間DJを努めることになるやつだ。
私が中学3年の時、そいつは中学1年だったのだが、私の1個下、つまり2年の先輩にいじめられていると打ち明けてきたのである。
これはやばいと思って、その話を聞くなり私は下に降りていき、いじめている張本人を呼び出した。
そして男子棟中に聞こえるのではないかというような大きな声で、説教をしたことを覚えている。
ちょうどそのとき、私自身いじめからやっと解放されたばかりの頃で、いじめられているやつの気持ちを考えると、絶対にほおっておけないと思ったからである。
当時寄宿舎の中学部長を務めていたこともあって、この話はすぐに寄宿舎指導員にも報告する事になった。
私はその報告の席上、寄宿舎指導員長の先生に向かってこう言った。
「寄宿舎の親代わりである先生が、どうしてこんなことに気づいてあげられないんですか。
私の時もそうでしたよね。
いじめられている子は自然と何かを発しているんです。
いつも事務室の前を通ってただいまと挨拶させているのは何のためなんですか?
彼の声がいつもより暗いことに、どうして先生は気づいてあげられなかったんですか。」
その場には他に10名程度の先生がいたが、その先生の誰もが黙って何も答えてはくれなかった。
「ともかく今回のことと先日の私のことについては、幸いにも大事には至りませんでしたし、心がぼろぼろになる前に助けを求めることができました。
でも、この後こんなことでは私は正直言って先生方を信用できません。できる限り早く、こういうことが起きないよう、対処して頂けるように中学部を代表してお願い致します」
といって、事務室を後にした。
実はこのとき、私はどうせ先生方は、うるさい中学生の話が終わるのをただ黙って聞いているのだと思った。どうせ右から左に聞き流してしまっているのではないかとも感じていた。
ところが次の日寄宿舎に戻ってみると、いつもこんな時間には会議などやっていないはずなのに、先生方全員が事務室に集められ、何やら会議らしいものをやっているようだった。
後になってこれが、私の言ったことに対して、先生方が話し合っている会議だと分かったときには、少しは寄宿舎の先生方も考えているんだと、当然のことながら感心したのだった。


次へ

自伝の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る