高校生時代の幕開け


 1997年4月、私は栃木県立盲学校の高等部に入学した。
しかし、普通ならば幼稚園、小学校、中学校、高校と、すべて学校そのものが違うため、新しい気分で入学を迎えられるのだが、私は幼稚園から高校まで同じ学校に行ったため、全くそんな気分ではなかった。
特に中学部から高等部に入学したときは、建物はおろか、棟まで全く一緒だったし、担任の先生は私が小学生時代、隣のクラスを担任していた先生で、小学校の道徳の授業を持って頂いたこともある先生だった。
しかも副担任の先生は、小学校時代家庭科を担当してもらった先生。隣のクラスを見渡すと小学校時代一緒に合同授業をやった先輩方がほとんどそのまま上がってきていた。
3年生のクラスもこれまたほとんど似たようなもので、小学生時代から遊んでいたI先輩(以前までは晃君と表記)、そして同じく小学生時代から学校でよく遊んでいたS先輩、もう一人、高等部から盲学校に来た先輩がいた。
中学生時代は全く初めての先生だったし、いろいろ聞いていただけにけっこう緊張した感もあったのだが、高校に来るときは全く緊張しなかったと言っても過言ではない。
それどころか入学初日から私たちは完璧にリラックスしていた。
担任の先生も、
「え〜〜、皆さんの担任をすることになりました、石井と申します。
ってここで改まって紹介しなくても、君たちとは小学生時代一緒に勉強したのでもう顔なじみになってるけど。」
とあるクラスメイト:「先生まだヘビースモーカーやってるんですか?」
「やかましいやかましい。そんな余計なことはどうでもいいんだけれども・・・」
しょっぱなからこんな感じだった。
副担任の先生も
「いやぁ、皆さんとは小学校5年生からのつきあいになりますが、高校生になったということで気を引き締めてがんばってください」

そんな感じで入学式の当日に見られる緊張感とか、フレッシュ感などはほとんど無かった。
次の日に行われた生徒総会では、
「○○も高等部生か。俺が一緒の部屋だった頃は小学校1年生だったよなぁ」
と専攻科のM先輩(今まで孝君と表記)に言われたりした。
そうなのだ。そんなに意識することはなかったが、私はこの学校にもう11年もいて、その年で12年目だった。
 このようにして私の盲学校時代でもっとも輝くことになる高校生活は幕を開けた。

コラム 盲学校の高校受験の話


 話はちょっとさかのぼるが、私たちの盲学校にも当然のことながら入学試験がある。
一応私も受験勉強はしたが、一般の中学生の勉強量には到底満たなかったと思う。
盲学校というのは県内に1校しかないので、落ちると何処にも行くところがない。
ここだけの話、盲学校の高等部を受験して落ちるというのは何かの事情があるとしか考えられない。その事情についてはここでは書けないのだが、ともかくほとんどの場合受験は合格になるのだ。
でも、だからといって全く受験が恐ろしくないかというとそんなことはない。
盲学校の高等部は、クラスが2つに分かれている。
一般の高校の普通科の授業と全く同じ授業を行うクラス、そして知的障害など何らかの事情により、職業訓練や日常生活訓練を中心に行っているクラスだ。
さらに、前者の一般の高校の授業と全く同じ内容を学習するクラスは、成績によって課程1と課程2の二グループに分かれることになる。
課程1は大学や専攻科などへの進学に向けて学習し、課程2は保健理療科への進学、もしくは就職に向けて学習することになっている。
入学試験の成績が悪いと、自分が課程1を希望しても、課程2にグループ分けされてしまうことがある。それが私たちがもっとも恐れていることだった。
 なお、これは盲学校によって異なり、上記で述べた話は私が卒業した学校の話だ。
しかもこの話、私が高校を卒業したときの話なので、もしかするとあの学校も制度が変わっている場合も考えられる。
盲学校への進学をお考えの方でこのページをお読みの方は、この辺のことは気にしないでとりあえず自分の持てる実力が最大限に発揮できるように、一生懸命勉強して頂きたいと思う。


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