理想と現実


 「高校に入ったら演劇部に入って音響係とラジオドラマのミキサーをやりたい。」
私は中学生時代から強くそう考えていた。
私の学校の演劇部は、2年に1度行われる学校祭で劇の発表を行う他、毎年行われている関東地区盲学校生徒会連合主催の合同文化祭でに向けてラジオドラマを製作して発表していた。
小中学生の時、これらを見たり聞いたりしていた私は、「高等部に入ったら演劇部に入ろう」と思っていたので、早速入学式の次の日、1年の教室に勧誘に来たキャプテンと顧問の先生に、
「入部したいんですけど」と速攻で答えていた。
 さて、入部後最初の部活の時間、私はワクワクしながら部活の行われる部屋に行った。顧問の先生の挨拶と、キャプテンの挨拶が終わった後、早速今年の劇の台本が配られた。
演劇部の台本は前年度の2月頃から制作が行われ、4月に新入生を交えてキャストを決め、4月後半から練習に入る形式だった。
だから私が入ったときはすでに台本はできあがっていたという訳だ。
しかし、その台本を開いて読んでいくうちに、私の中にあった理想のものとあまりにも違うのに驚いてしまい、あれほどあった情熱がすうっと抜けていくのを感じるほどだった。
その台本は今までの演劇部のやっていた社会問題を取り上げた作品とか、恋愛物語とか、そんなものとは全く違い、グリム童話の「ヘンゼルとグレーテル」をキャプテンなりにアレンジした、完璧に子供向けのお話だった。
それまでの作品は、学校の周りに捨てられた猫の物語から、自分勝手な人間の行いを戒める内容のものや、親に反抗した娘が家でしていろいろな経験をすることで、本当は親ってかけがえのないものだったのだと気づかされるというもの、そして古いものでは自分の障害をまっすぐに見つめ、明日に向かって生きていこうとする中途失明者の物語など、どれもこれも内容がとても濃くてすばらしいものだった。
それだけに私の期待も大きく、前の年から「来年は俺もこんなのを作るのか」と思っていたほどだったので、そのときの私の落胆ぶりは相当のものだった。
これでは仕方がないと思い、私は思いきって、
「キャプテン、すいませんが今年から台本の方針が変わったんですか?」
と聞いてみると、
「今まで真面目なのばっかりやってたから、今年はこんなやついいかと思って」
と言われてしまった。これではここにいる意味がないと思ってすぐに入部をやめようと思ったのだが、そう思ったすぐ後に、顧問のW先生が、
「今年は去年のミキサーが全員卒業しちゃってどうなることかと思ったけど、狙っていたミキサーさんが入ってくれたので、皆さん安心ですね」
と言った後に、「○○君、よろしくね」
と言われてしまったので、まさかそんな中やめると宣言するわけにはいかず、またやりたくもない部活をやる羽目になってしまった。
同じくミキサー希望で入ったS君も、「俺、こんな事やりに来たんじゃねぇんだけどなぁ」と二人でぶつぶつぶつぶつ言っていた。
そんな私たちとは裏腹に、キャプテンをはじめとする女の子達は、本当に楽しそうに部活に取り組んでいた。
しかもこの年は、学校祭で発表する劇とラジオドラマでほとんど同じ台本を使ったので、はっきり言って劇の練習そのものは全く面白くなかった。
ラジオドラマの方は、基本的にどんな物語であってもミキサーはやっていることはあまり変わらないので、収録日と編集の日だけはそれなりに楽しくやった。
しかし、あのときやめなくて本当に良かったと後になって思うことになるのだ。


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