「あんたさぁ、高校生の放送コンテストの朗読部門に出てみる気はない?」
国語の渡辺先生からこんなお誘いを受けたとき、私はちょっと躊躇した。
たしかに放送は好きで、この時期は毎週1度ミニFMの番組をやっていたのだが、それがすべて自分でラジオを聞いて、アナウンサーにそっくりになるように練習して作り上げた自己流の方式だったからだ。
この放送コンテストは、栃木県高等学校文化連盟主催のもので、年に2回、県内各地の放送部の部員が集まって日頃の練習の成果を競う。
このとき私が参加しないかとお誘いを受けたのは、秋に行われている1年・2年対象のコンテストだった。
「本格的に放送部で毎日毎日練習している一般の高校生の前に出たら、私の自己流のアナウンスでは恥ずかしい思いをするのではないか。」
私はこう思った。
しかし、「自分の放送の技術がどの程度のものなのか、是非試してみたい」という強い希望もあり、気づいたときには
「やります」と答えていた。
そしてクラスメイトも全員この大会に参加することになった。
それからの私たちの国語の授業は、半分ぐらい朗読の練習に費やされた。
このときの朗読部門は、
「栃木県にゆかりのある作者の本から自分の好きなものを選び、その中から抜粋して、1分半以内で朗読しなさい」
という課題で行われた。
私は「尾島敏夫著 生きている民族探訪栃木」という本の中から、自分の住んでいる二宮町に関する部分を抜き出して朗読した。
この本はエッセー的な感じのする本で、私が思うにとても自分の声に向いていると思ったことと、偶然二宮町に関する話が出ていたので、これを朗読することにした。
練習の中でもっとも気を遣ったのは「発音とアクセント」だ。
私たち栃木県民は、とかくアクセントに弱いと言われているので、これを徹底的に調べ、正しいアクセントで朗読できるように練習した。
また、自分の朗読をテープに録音し、苦手な発音の単語やアクセントの間違いがないかチェックしたりもした。
もしどうしてもアクセントが分からない場合には、NHKの宇都宮放送局に電話して一つ一つ解決した。
実は世の中には「アクセント辞典」という便利な辞書があり、それを調べればすぐに分かったのだが、そんな辞書があることそのものを私たちは全く知らなかった。
さていよいよ大会の日がやってきた。
会場に着くと、この大会の主管校の校長先生がやってきて、
「渡辺さん、やっと盲学校の人つれてきてくれたんだね。皆さん、熊本の方でねぇ、全国大会で優勝した人もね、盲学校の人なんだよ。期待してるからがんばってください」
と声をかけてくれた。
去年のNHKの全国大会で、熊本盲学校の人が優勝したことはうすうす知っていたのだが、こんな風にみんなが期待していると分かったとたん、ますます緊張したものだった。
さて、いよいよ放送コンテストの朗読部門が始まった。
そして最初の発表を聞いたとたん、私は「やっぱりか」と思った。
さすがみんな毎日部活で練習しているだけのことがあり、上手な人が多かった。
中には「これはちょっとなぁ」と思う人も無いではなかったが、でも、思った通り他の学校の人の声には「鍛え抜かれている」というにふさわしい感覚があった。
そしてとうとう私の番が回ってきた。
マイクの前に座ったとたん、私は今までにないほど緊張して、自分の体が震えていることに気が付いた。もしかすると今まで生きてきた中で、もっとも緊張したのはこのときだったのではないかと思う。
大学卒業を控えた今となっても、このとき以上に緊張したことはない。
そしていよいよ第1声というとき、私は最初から大きなミスを犯してしまった。
一般的に放送コンテストでは、以下のような順番で原稿の読み上げに入る。
「エントリー番号 学校名 名前 ○○作 本の題名」
だから私は本当は、
「15番 栃木県立盲学校 TomG
尾島敏夫著 生きている民族探訪栃木」
と言わなければならないところを、何を血迷ったのか
「15番 尾島敏夫著」
と言ってしまった。あわてて気が付いたときにはもう後の祭りだった。
私は悔しくて泣きそうになったのだが、よくNHKのアナウンサーがニュースを読み間違えたとき、「失礼しました」と言って戻って読み直しているのを思い出し、
「失礼致しました。
15番 栃木県立盲学校・・・」
と続け、制限時間内に収まるように普段よりちょっと速いスピードで朗読することで何とかその場を乗り切った。
すべての発表が終わったお昼ちょっと前のこと、いよいよ決勝戦に残る人の名前が発表される段になった。私は今回、とんでもないミスを犯してしまった。だから、絶対に決勝には残れないだろうとあきらめていたので、先生と
「決勝に残る乗ってどんな朗読でしょうね」
などといいながら、次々と読み上げられる決勝進出者の名前を聞きながら、「やっぱりなぁ」とか「あれれ?」などとのんきなことを言っていた。
ところが、なんと信じられないことに発表者の口から私のエントリー番号と名前が出るではないか!
さすがにこのときはびっくりしたのだが、ともかく決勝進出と言うことで、すぐに本部席に午後の課題原稿を取りに行った。
しかし、事務局でも盲学校の人が決勝に残るなんて予想していないから、点字の原稿は用意されていなかった。
そこでこうなったらということで、お昼休みの短い時間を利用し、先生に決勝原稿を読んでもらい、それを点字タイプライターで書き取り、課題原稿を作成した。
その間にも他の人は着々とロビーで練習を続けている。このままでは絶対に他の人には勝てるわけがない。
私は半分あきらめていたのだが、それでも私なりに全力を尽くさないと後で後悔すると思い、一心不乱になって原稿と格闘した。
いよいよ決勝戦が始まり、私は愕然とした。
みんな同じような原稿の読み方をしている。しかもその読み方は、私の練習していたものと全く異なるものだった。
私は意味の切れ目で息継ぎをするように練習したのだが、私の番が来るまでの何人かの人は、みんな同じように、句読点の切れ目で正確に息継ぎをしていた。
「これではいけない」私は心の中で叫んでいた。でも、時すでに遅し、私にはこれを直す時間は残されていなかった。
しかし、もうこうなったら破れかぶれ、どうせ自己流の読み方しかできないのだから、胸を張って自分で考えたとおりに意味の切れ目で息継ぎをしてみようと決心し、決戦に挑んだ。
「私は盲学校の生徒として最初に出てきたんだ。ちょっとぐらい恥ずかしい思いをして笑われたっていいじゃないか。次があるさ。」
そう思いながら私はおもむろに原稿を開き、マイクに向かってその自己流の読みを披露した。
決勝戦が終わり、私は先生と一緒に、
「まぁ今回は最初だったからしょうがないしょうがない」
「先生、やっぱり自己流では駄目ですね。次からはもっと本格的に練習して出直してきましょう」
などと話をしながら、誰が最優秀賞になるかと予想をしていた。
ところが、これまた奇跡としか言いようのないことが起きた。
結果の発表の中で、優秀賞の時点で、私たちがうまいと予想した人の名前はすべて出尽くしてしまった。
そして次の瞬間、「最優秀賞」ここでしばらくの沈黙が流れ、
「15番 栃木県立盲学校、TomGさん」
と言うではないか。
なんと私は自己流の読み方にもかかわらず、栃木の盲学校からの初出場で最優秀賞という、信じられない結果を出してしまっていた。
コンテスト後の審査委員の公表で、
「皆さん、今回どうして盲学校の彼が最優秀賞になったか分かる人いますか?
・・・
・・・今回の原稿を、皆さんは句読点を頼りに息継ぎされたようですが、句読点というのはあくまで作者が読みやすい位置に付けたもので、意味の切れ目を表しているものではありません。彼は原稿をちゃんと読んで、意味を理解して、意味の切れ目で息継ぎをしていたんです。これが皆さんとの得点差を大きくしているんです」
と言われたときには、本当に自分の読み方を実践して良かったと思ったものだ。
このときから私は、完璧に放送コンテストにはまりこみ、この後の高校生活のほとんどをこれに費やすことになる。