一人での旅立ち


 とてもお恥ずかしい話なのだが、私は高校1年生の9月まで、両親に家から学校までの送り迎えをしてもらっていた。
毎週車で1時間半の道のりを、両親は仕事が忙しい中何とか時間を作って私を学校まで送ってくれた。
しかし、アマチュア無線の友達の中で、学校までの送り迎えを両親にしてもらっているのは私だけだった。
それはそうだ。普通の高校生、いや小学生だって一人で学校に行けるのだから・・・。
前々からこれでは行けないと思っていたのだが、私は臆病だった。
本当に目が見えないのに一人で町中を歩けるのだろうか。電車に乗ろうとしてホームから落ちてしまったらどうしよう。
降りる駅を通り過ぎてしまったらどうしよう。
こんなことを考えると、とても怖くて宇都宮の駅の中を自分一人で歩く勇気はなかった。
ところが、そんな私に転機が訪れた。
 それは中学3年生の3月のこと、幼稚園時代に私をかわいがってくれた先輩が、自分の店に遊びに来ないかと私を誘ってくれた。
もちろん私は先輩と久しぶりに会いたかったので、すぐにOKの返事をした。でも、返事をして電話を切ったとたん、とてつもない不安に襲われた。
先輩も全盲、そして私も全盲。二人とも目が見えないのに、町の中なんて歩けるんだろうか。
もしバスに乗ろうとしてバス停が分からなかったらどうするんだろう。先輩と一緒に二人で町中を延々と歩き続けなければならないのだろうか。
そんな不安が私の頭の中に一気に押し寄せ、自分の体がどんどん硬直していくのを感じるほどだった。
そこでとうとう、私は先輩にキャンセルの電話をかけようとしたのだが、そこで母に、
「どこ電話すんの?」
と聞かれた。なぜかそのときは、自分が今先輩に誘われていること、でも先輩も全盲で自分も全盲だから、全盲同士で町中を歩くのが不安なことなど、正直に話をしていた。
すると母は、私の手から受話器を取り上げこういった。
「この意気地なし!!お母さんはおまえをそんな臆病者に育てた覚えはない!何が何でも行ってきなさい!」

それでも私は必死に抵抗したのだが、よく考えてみるとたしかにこの機会を逃してしまうと今後自分で歩けるようになるのはいつになるか分からないとも考えた。
そこで思い切って、先輩の待つ宇都宮駅に兄貴と二人で行き、そこから先輩に宇都宮の町中を案内してもらうことにした。
 その日、私は先輩に自分の気持ちのすべてを打ち明けた。すると先輩は、
「おめぇ、俺だって最初は全く一緒。怖い、怖いと思っていたら何処にも出らんねぇぞ。一生家の中で暮らすしか無くなっちまう。」
それから先輩はゆっくりと、今まで自分がどうやって外に出て行ったのか、詳しく話を聞かせてくれた。
その話を聞いて私は臆病者の殻を破ろうと自分を奮い立たせた。
 次の週から、私は寄宿舎で、個人的に歩行訓練の先生に頼んで、駅構内とその周辺の歩行訓練をやってもらった。
そしてとうとう高校1年生の9月、家から最も近い宇都宮線の駅まで、自分一人で帰ってみることになった。
私は前の日から、頭の中で何度も何度も今まで練習した道を復習した。
「いくつ目の点字ブロックを右に曲がって、誘導鈴の音が聞こえてきたところを今度は左で・・・。」
もちろんその夜はほとんど眠れなかったし、当日の学校の授業も頭に入ってこなかった。
そしていよいよスクールバスに乗り、そのバスが宇都宮駅の5番乗り場でドアを開けたときから私の挑戦が始まった。
前の日から何度も何度も頭の中に地図を描き、イメージトレーニングをやった甲斐があって、何とか電車に乗り、母の車の待つ駅のプラットホームに降り立つことができた。
ところが、電車がホームのどの辺りに止まったのか全く分からない。だから、どっちに行ったら階段を下りられるのか、そのときの私には全く分からなかった。
「まずい、このままでは完全に自分を見失ってしまう。何とかしなければ・・・。」
私は心を落ち着かせ、自分の全神経を耳に傾けた。
すると自然に人の流れが見えてきた。
「左だ、階段は多分左の方にある!
足音が左に流れてる!」
私は必死で一人の靴音の大きい女の人の足音をねらって、後ろにくっついていった。
そして無事に階段を下り、改札口の係委員に「こっちですよ」と言われたときは、本当に自分一人で帰ってきたんだと、うれしさで心がはじけそうになった。
「俺も普通の高校生に1歩近づいた」
そう思うと、その夜はうれしさで眠れないほどだった。
 この時以来、私はできるだけいろいろなところに一人で行くようになった。
 あれからもう5年近い月日が過ぎた。
そして私が今度は後輩に向かって
「おまえ、いつまで家の中に閉じこもってるんだ!」と言うようにまで慣れた。
今でも一人で道を歩いていると、時々このときのことを思い出す。
このことがなかったら私は今頃どんな生活をしていたんだろう。
そう考えると、私を思いきって突き放してくれた母と、私の目を覚ましてくれた先輩には、何度感謝していいか分からない。


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