パソコンと私


 このテーマで行くと多分また一つコーナーができそうなほど、私はパソコンと仲良しだ。
暇さえあれば1日中パソコンばかりやっているし、今の私の友人や知人のほとんどが、このパソコンを通じて知り合っている。
 私がパソコンというものを初めて使ったのは、小学校2年生の頃、学校に置いてあったPC-9801シリーズのもので、その当時導入されたばかりの点字プリンターから自分で書いた点字を出力したのが始まりだった。
そのパソコンは、フロッピーディスクが2枚入るタイプで、ドライブ1にシステムディスクを、ドライブ2にデータディスクを入れて起動する方式になっていた。
もちろん言うまでもなく、HDDは内蔵されていないタイプで、高知システム開発の大きな音声装置がつながっていた。
多分あの点訳ソフトは、今考えてみるとMS-DOSで動くシステムだったと思う。
それまで先生方が普通文字の文章を打つのにコンピューターを使っているのは見たことがあったが、自分自身で使ったのはこのときが初めてだった。
確かこのときは、自分の名前を点字で書いて、それを打ち出して感動していたように思う。
 それから数年が過ぎ、中学1年の授業で、AOKという視覚障害者専用ワープロの使い方を本気で学習したときには、自分で普通文字の手紙を、しかも漢字かな交じりで書けたことに、本当に感激したものだった。

 そんなパソコンが私の家にやってきたのは、高校2年の2月のだった。
そのときは、英語の辞書を何とか楽に引けないかということで、両親にねだって買ってもらったのだが、私はこのパソコンというものに、完全にはまりこんでしまった。
最初はワープロソフトを使って自分で文字を書いたり、OCRソフトを使って印刷物を読ませたりする程度の活用だったのだが、そのうち暇になって来るにつれ、Bドライブに入っていたMS-DOSに興味を持ち始めた。
なんでこんな時代にMS-DOSかというと、私がパソコンを購入した1999年の冬頃は、ちょうど視覚障害者のソフトの世界でもWindows上で動作するものが次々と発売され始めた頃で、まだWindowsだけでは私たちができないことがあった。
特に点訳作業についてはWindowsはまだ未発達で、MS-DOSの方がいいソフトがあったから、私はあえてBドライブにMS-DOSの入ったパソコンを買ったのである。
ってそんなことは当時全く分かっていなかったのだが、私が使いたいと思っていた点訳ソフトがWindows上で動かないから、購入した店の方でMS-DOSを入れたのである。
そして、この当時はWindowsに関する点訳された書籍はほとんど無かった。一方MS-DOSに関するものについては、ナイーブネット(当時の点訳広場)に置いてあったので、資料が手に入りやすかったのも私をいっそうMS-DOSにはまりこませた。
まず始めに私がはまりこんだのはバッチファイルだった。
簡単なテキストを書くだけで、あたかも自分がプログラマになったかのような気分を味わえるので、暇さえあれば私はバッチファイルを書いていた。
実際私はバッチファイルを使って、いくつかソフトを作って公開してきた。
 また、パソコンは私の進む道を大きく変えていった。
詳しくは就職活動体験日記のプロローグで書いたが、高校3年の4月、先輩が視覚障害者を対象としたパソコン関連事業を営む会社を設立したことがきっかけで、私もこの先輩のようになりたいと思い、情報処理学科に進むことになるのだ。


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