家からの通学の始まり


 高校2年の秋頃、私は寄宿舎での生活に嫌気がさしてきた。
携帯電話が平日に使えないことや、そのときの部屋メイトと、私は全く相性が良くなく、いつも喧嘩ばかりしていた。
そこでこうなったら、一人で通えるようにもなったことだし、思い切って自宅からの通学に切り替えてしまおうと考えたのである。
このころには、電車ではなくバスを使って家から車で15分程度のバス停まで自力で帰れるようになっていたし、同じバス停から学校に来ることもできるようになっていた。
私の家から学校までは2時間半以上の時間がかかったのだが、それでも私は思いきって自宅からの通学に切り替えることにした。
本当であれば3年生になってからとも考えたのだが、早く寄宿舎を飛び出したい一心で、2年生の1月から通学に切り替えた。
最初のうちは学校への行き帰りだけでかなり疲れてしまい、家に帰っても何もする気力が出なかったのだが、3週間ぐらい続けるうちに、どんどんからだが慣れてきた。
このときの私のスケジュールは、朝5時40分に起きて朝食を済ませ、着替えをして6時20分に車で家を出発し、6時40分発の宇都宮行きのバスに乗って宮野橋というバス停で降りてから、少し歩いて駅まで行って、そこから学校のスクールバスに乗って通っていた。
バスというのは渋滞の状況や天候によって時間が左右されるため、地元のバス停から宮野橋のバス停までの所要時間はまちまちで、通常7時半には宮野橋に到着するのだが、酷いときになると8時少し前になったりすることがある。
学校のスクールバスは8時に宇都宮の駅に入るので、これに遅れると田舎にある盲学校に行くことはほとんど不可能と言っても過言ではなかった。
私と同じような時期に通学を始めたS君も、やはり少し早めの電車で宇都宮駅まできていた。
電車なので遅れることは無いのだが、時間ぎりぎりの電車しかなかったため、「精神的に良くない」と言って、1本早い電車で通っていたのである。
 通学を始めてもっとも変わったことは、以前よりもずっと夜更かしをするようになったことである。
寄宿舎にいると、先生がうるさいことと、夜中まで起きているほどやることがない。
しかし、家に帰ってくれば、アマチュア無線機はあるし、2月からは新しいパソコンもあった。
もう一つ、平日に携帯電話が使えるようになったことにより、学校以外での友達が増えていった。
今までは名刺を渡しても、その日の夜に電話がかかってくることはなかったのだが、家ではもちろん携帯の電源を入れていたから、けっこう名刺を見て電話してくれる人が出てきたのであった。
もしあのとき寄宿舎生活から普通の通学生活に切り替えていなかったら、この後のストーリーはかなり違ったものになっていただろう。
もしかするとまだ、私は盲学校にいたかもしれないし、鍼灸マッサージの資格を取得してその道で働くことになったかもしれない。


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