やっと手にした最優秀賞


 1998年6月、私は2回目の放送コンテストに出場した。
結果はというと優秀賞(2位)だった。
前回最優秀賞を取ったこともあって、そのとき私はとても悔しかった。
しかも、それに追い打ちをかけるように、一人の審査委員の先生が私のところにやってきて、
「TomG君、僕は本当は君に最優秀賞あげたかったんだよ。NHKのアナウンサーの先生以外、全員一致で君を最優秀賞に推薦していたんだ。惜しかった、NHKの先生の好みの問題だから、がっかりしないでくれ」
と言われたのであった。
これを聞いて私はさらに悔しくなった。
自分の実力が足りなくて2位であったのならそれは納得ができた。しかし、審査委員の先生の話によると、どうもそうではないらしいのだ。
このことが原因となって、私は朗読の練習に全く身が入らなくなってしまった。
全国大会があるというのに、課題本の朗読練習をしても、全く作者の心情やそのシーンの風景が浮かんでこなくなってしまった。
栃木県の代表者が集まって行う合同練習会でも、私は名刺を配ったりすることにしか気持ちが向かず、自分にとって最悪な、人のまねをしたような朗読をしてしまうほどだった。
そして全国大会を1週間後に控えた放課後、やっと私は渡辺先生の言葉で目が覚めた。
「あんた、悔しがってそんなインチキ朗読やってたんじゃ、本当の意味で1位の人に負けちゃうよ。」
そうだったのだ。県大会では私はたしかに結果として2位だった。でも、県大会はあくまで全国大会の予選だ。その予選大会で負けたからってくよくよしてどうする!
私は自分を奮い立たせ、それからの1週間、暇さえあれば課題本と向き合って練習を続けた。
そして全国大会、残念ながら準決勝で落選してしまったが、ライバルには勝つことができた。

 その年の10月、私は3回目となる放送コンテストの新人大会に出場した。
このときは、前回の県大会での経験のせいで、朗読を本気でやる気になれなかったので、ちょっと気分を変える意味でアナウンス部門に出場したのだが、残念ながら2位に終わってしまった。
このときの場合、私自身1位を取った人の方が実力があったと思うので、「負けました」という感じで納得だった。
敗北の原因は、私のアナウンスの練習不足のせいで、課題原稿のアナウンスミスをやってしまったことにあると思う。
また、朗読で1度1位になっているので、やはり「自分は練習なんかやらなくても勝てる」と思ってしまったのがいけなかった。
今でもそうなのだが、私は一度ちょっとばかり良い結果を出したりうまくいったりすると、かなりの勢いで調子に乗りすぎる傾向がある。これは本当に自分にブレーキをかけなければと思っている。

 そして1999年6月、(3年生の6月)、私はとうとう念願の1位を再び取ることができた。
この大会の3日前に、NHK宇都宮放送局のアナウンサー主任が替わったこともあって、今回は全員一致で最優秀賞だったと後で聞いたときは、1回目のときよりもずっと嬉しかったことを覚えている。
 残念ながら放送部最後のこの年も、全国大会では準決勝で終わってしまったのだが、ともかく自分では決して後悔していない。


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