栃木女子高の後輩達


 私は前々から、栃木県の放送部の中ではけっこう強い、栃木女子高という学校の生徒と友達になりたいと思っていた。
朗読にしてもアナウンスにしても、その学校の人はとても上手で、どうやってみんなこんなに上手になるように練習をやっているんだろうと思ったからである。
ところが、それまでなかなか話しかける機会がなかった。
栃木県内では強かった私は、放送コンテストに行くと他の学校の生徒からちょっと話しかけられることはあったが、お昼休みは自分の練習で忙しかったし、大会の後はすぐにでも帰らなければならないことが多かったため、なかなかゆっくり語り合うことはできなかった。
そしてとうとう私にとって最後の放送コンテストの1日目のその日、その機会は訪れた。
6月の放送コンテストというのは2日に分けて行われ、1日目がラジオ番組とアナウンス、2日目がラジオドラマと朗読だった。
盲学校では前の年からラジオドラマ部門に出場していた。
この年も2回目のラジオドラマを持っていっていたのだが、私たちの学年が卒業してしまうと、ミキサーの人材が確保できにくくなることと、アナウンスに強いものが少なくなるため、来年からはドラマではなくラジオ番組部門への切り替えを検討していた。
そのおかげで私たちは、1日目から放送コンテストの会場に行っていた。
午前中のラジオ番組の予選が終わり、お昼休みを迎えたそのとき、ロビーに出るとアナウンスの練習をしている栃木女子高の一団を発見した。
そこで私はちゃっかりと、それを聞くためにその一団の近くの席に座った。そして彼女らの練習に耳を傾けていたのである。
私は2年生の秋の放送コンテストで2位を受賞していた。1位は栃木女子高の3年生で、もうすでに部活を引退してしまっていた。
去年の6月の放送コンテストのアナウンス部門の1位の人も、そのとき3年生だったため、すでに卒業してしまっていた。
つまりそのとき栃木県の中でアナウンスがうまいのは一応私となっていたことになる。
当時の栃木女子高の放送部長が、そんな私が近くに来たのを見逃すはずはなかった。私がこのとき、朗読で出場していたから、彼女たちの敵になる可能性がないこともあって、
「すみません、もしよろしかったら先ほどからの練習について感想を聞かせて頂けないでしょうか?」
と話しかけてきたのである。
このときの部長は朗読の人で、次の日の私の敵であったわけだが、アナウンスについては私が何を言っても自分の頸を占めることはないので、
「たいしたことは言えないけどね、ちょっと気になったのはここのアクセントが違っていることと、ここの間の取り方を間違っていることかな?」
と言うようにアドバイスをした。
そしてそのときに部長にこっそりと、
「私たちの学校の中で誰か受賞できそうな人いませんか?」
と聞かれたのをきっかけに、私は同じ放送という仲間の彼女との話しに熱中してしまった。もちろんこのときも、いつも持ち歩いているかわいい名刺を彼女に渡しておいたのである。
次の日の朗読の大会で私は最優秀賞を受賞することができたのだが、その夜もう一つ嬉しいことがあった。
それは、2日前に名刺を渡していた彼女から電話がかかってきたのである。
一応その日、私は彼女を負かしてしまったこともあり、電話なんてかかってくるとは予想していなかったので、かなりびっくりしてしまった。
でも、彼女は思っていたよりも明るく、
「今晩は。今日はお疲れ様でした」
と話し始めてくれたので、私も、
「まぁ俺は今年が最後だけど、君は2年生で来年があるからがんばりなよ。君には絶対にいい素質があると思うから、もし良かったら今度何かの機会に教えてあげるから。」
と言って、そこから話が発展していった。
 それから数ヶ月後の7月のこと、放送コンテストの全国大会で、学校代表で来ていた彼女と会って一緒にご飯を食べることになった。
その席で、夏休み中に本当に朗読とアナウンスを教えて欲しいと言うことになり、詳しい日程は全国大会が終わってから電話で相談することになった。
その年の大会で、私はまたもや準決勝で落ちてしまったのだが、その日の帰り道彼女たちに会って、「お疲れ様でした」と声をかけられたときには泣きそうになった。
そしてその次の日、早速電話がかかってきて、8月の3日に朗読講習会を、なんと俺の家でやることになった。
その講習会には、彼女の他に朗読の1年生が一人と、アナウンスの2年生が一人来た。
その日の練習は、午前中が彼女たちが持ってきた課題を教え、午後の練習では私が用意した課題を1時間で練習するという、放送コンテストの決勝を想定したメニューで行った。
全国大会を目指して真剣に練習している彼女たちに、朗読やアナウンスの練習を教えるのは、とてもやりがいがあって楽しいことだった。
また、彼女たちの熱意を感じるたびに、それに何とか答えたいという私の希望も強まっていった。
そんなわけでこの練習会は、秋の放送コンテスト前に2回ほど行い、合計3回やった。
そのたびに彼女たちはメキメキと成長し、アナウンスの2年生の子が、秋の放送コンテストで最優秀賞を受賞することができた。
私はこのとき、自分のことのように嬉しかったことをはっきり記憶している。


次へ

自伝の目次に戻る

エッセーコーナーに戻る

トップページに戻る