やんちゃ坊主


 乳母車に付けられたおもちゃで一人で遊んだり、兄と二人で特製の箱の中でおとなしく遊んでいたりと、私は良い子のようなことばかりを書いてきたが、今でもこんな性格、小さな頃は本当にいろいろとやらかして両親を困らせたという。
 特に両親の頭を悩ませたのは、私が目の代わりにはめていた義眼を、あたかもおもちゃのようにその辺に投げてしまったり、飴でもなめるのと同じように、口の中に入れてころころと転がしてしまうことだった。
おもちゃを投げてしまうのはゴムで縛り付けたり大きな箱の中に私を寝かせておくことで防ぐことができたが、まさか義眼に糸をつけて縛っておくこともできない。しかもいくら子供の力とは言っても、義眼はとても軽く小さいため、いったん投げてしまうと何処に行ったか分からなくなってしまうことも多かった。
特に畑の中に投げてしまったときや、器用にも引き出しをちょっとだけ開けてその隙間に放り込んでしまったときなど、探すのに本当に苦労したという。
 中でもひどかったのは、兄と私、そして両親の4人で地元の真岡市にあるデパートに買い物に行ったときのことだった。
久しぶりの買い物だったので、4人全員うきうきしておもちゃ売り場やら洋服売り場、ゴルフ用品売り場など、楽しく買い物を済ませた後、食堂でラーメンやらお子様ランチを食べていると、ふと私の顔を見た母は、目がどこかに無くなってしまっていることに気が付いた。
帯ひもで背中に負ぶっていたので気が付かなかったが、私は知らないうちに、デパートのどこかに大事な義眼を放り投げてきてしまっていたのである。
 それから父と母は二人で必死になって、今まで歩いてきた場所をくまなく探したが、全く義眼は見つかる様子もなかった。インフォメーションセンターに落とし物の届けを出そうと思ったが、義眼というものを見たことのない人たちがほとんどなので、見てもゴミか何かだと思って通り過ぎられてしまうと思い、何時間も同じ場所を必死に回った。
「あのときは本当にどうしたらいいかと思ったよ。こっちが必死に義眼探してるのに、当の本人はきゃっきゃっきゃとか笑ってんだもんよ。」
 結局洋服売り場のジャケットのかかっている下の床に落ちているのを発見したのでそのときは助かったが、こんな事が何度かあって本当に苦労したと聞かされている。
ああ、やっぱり私はけっこう親泣かせだったのだ。


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