物部保育園


 私が2歳半を過ぎたある日、母はそろそろ兄が保育園を卒園することをふと思い出した。
この子はこれからどうしていけばいいのだろう。そんな不安が脳裏をかすめた母は、兄が卒園する前に、この子も保育園に入れて、地域の子供達と遊ばせなければならないと感じたという。
 兄が卒園してからでも遅くないとも思ったのだが、もし他の子にいじめられてしまったときや、寂しくなって泣き出したときなど、近くに兄がいる方が何かと心強いと感じたのだった。

 そんなわけで私は、2歳の春、家から最も近い物部保育園に入園した。
私の最初に入った組はスミレ組、担任は原村悦子先生というとても優しい先生だった。
 私はクラスのみんなともすぐにとけ込み、一緒にブランコに乗ったり、滑り台で遊んだりと、目が見えないことなど全く意識することなく仲間の中へ飛び込んでいくことができた。
 子供もある程度大きくなると、この子は目が見えないから自分が助けてあげなければ何もできないだろうとか、いろいろなことを考えるらしいのだが、2歳、3歳といった年齢では、
「この子はどこか行くときは手をつないであげないといけない」
ぐらいにしか考えないのだと専門家は言っていた。
 お絵かきの時間なども私は両親の工夫でみんなと同じように参加することができた。
板の上に金網を引き、その上に画用紙を引いてクレヨンで描くと、クレヨンががちがちに浮き出たような感覚になり、私にもお絵かきができたし、友達が持っている
「丸、三角、四角」の絵本だって、筆でその形にボンドを塗って、その上に凧糸を貼り付けた特製の教材を使って、何でも他のこと一緒にできるように工夫してくれた。
そんなわけで私は、この物部保育園ではいじめられることもなく、暖かい担任の先生にも恵まれて、楽しい毎日を過ごしていたのだった。


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