大学生活の幕開け


 2000年の4月、私はとうとう念願かなって筑波技術短期大学の情報処理学科に入学した。
これまでずっと一つの学校にいて、違う学校に入学することそのものが全く初めてだったので、私は入学式当日はかなり緊張した。
筑波技術短期大学には、全国様々なところから学生が来ているので、ほとんどの人が寮に入っている。
私ももちろん寮に入ったので、入学式の前の日に寮への引っ越しをした。
全く知らない場所でこれからどうやって一人で暮らしていこうかととても心細かったが、視覚障害者のための大学だから何とかなるだろう程度には思っていた。
 最初に私が友達になったのは、オリエンテーションの時に隣の席に座っていたT君だった。
彼は兵庫県の盲学校出身の弱視で、不安そうにしている私に
「君、推薦入試で多分あっとるわ。」
と声をかけてくれて、パソコンという同じ趣味を持っていたこともあり、すぐに友達になった。
その年の入学式はなんと金曜日に行われたため、その後2日ぐらい休みがあった。
その間にユニットの先輩とも仲良くなった。
月曜日のオリエンテーションでも、私はW君とS君という二人の友達ができ、なかなか好調な滑り出しだった。
同じユニットに入ってきた別の学科の1年生とも友達に慣れたような気がした。
 さて、筑波技術短大の寮に入った私が最初に困ったのは食事だった。
昼食は学校の食堂で食べられるので問題なかったが、夕食をどうやって確保していいか全く分からなかった。
しかも誰も歩行訓練をやってくれる人がいなかったので、時々友達と一緒にコンビニに買い物に行く以外は、ほとんどを実家から持ち込んだインスタント食品でカバーしていた。
そのおかげで私は、1学期の間にかなりすらっとしてしまったという話がある。
歩行訓練をやってもらえなかったと言うことは、もちろん食事以外のことでも私はかなり困ってしまった。学校の中は何とかすぐに覚えられたのだが、ちょっと日用品で必要なものが出てくると、それを手に入れるのにかなり苦労することになった。
近くにはスーパーもあったらしいのだが、そこまでの道を知らなかったのだ。後になってその道を覚えたときに亜、あのとき誰か2時間ぐらい私の歩行訓練につきあってくれていたら、私の1学期の生活は相当変わったものになっていただろう。
 また困ったことはこれだけではなかった。
うちの学校の寮は、私にとってとても住みにくいところだった。電磁調理機と洗濯機は4人に1台しか割り当てがなかった。
しかもほとんどの生徒が普通学校から来ているため、私が盲学校の寄宿舎で学習した「集団生活の常識」が全く通用しなかった。
乾燥機が終わって止まっていたので、前に置いてあるかごの中に乾燥機の中の洋服を映し、私がそれを使ったら、自分で何時間も放置しておきながら、
「勝手に人の洋服をどうのこうの」
と怒り出す先輩もいたし、キッチンを使ってからずっと片づけをしないで放置しておく人もいた。だから全盲の私は、何処に何が置いてあるか分からなくなってしまうため、到底強要のキッチンを使うことはできなかった。
もう一つ、寮の中で困ったことは、隣の部屋との間の壁があまりにも薄すぎることと、部屋のブロックが一緒の人が夜中騒ぐので、酷いときには2時過ぎまでうるさくて眠れないと言うことになった。
しかもこのブロックには喫煙者が多く、たばこの嫌いな私はこれでかなり参ってしまった。
 そのようなことから私は寮にいるときはほとんど部屋にこもったような状態になり、学内のネットワークを使ってインターネットばかりやるようになってしまった。
ちなみに私がインターネットに初めて接続したのはこの年の4月後半のことだった。
また、インターネットに飽きるとクラスの友達に電話をかけて、夜中に遊びに行ったりしていた。
しかもそのときはMという彼女がいたので、正直こんな状況でも「むかつく」とは感じていたものの、つらくて仕方がないとかそんな漢字ではなかった。
また、クラス唯一の女の子Nともかなり仲が良く、夜中に内線で長電話したり、学校の裏の方でこっそりあって話をしていた。
何でわざわざこっそりとそんなところで話していたかというと、うちの学校は人数が少なく、恋愛の話の好きな人が多いので、人に見つかると単なる友達なのに、怪しい関係だと勘違いされてしまうからだった。


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