何で今時MS-DOS?


 私がこの大学に来て、信じられなかったことがある。
それはこの大学の情報処理学科の授業のやり方だった。
情報基礎というコンピュータの使い方の基礎を勉強する時間、先生はいきなり私たちの前に立つと、
「これから君たちにはMS-DOSの使い方を勉強して頂きます」
と言うのである。
そして本当に、この年の1学期に行われた情報基礎の時間、私たちがWindowsの基本的な使い方を勉強する機械はなかった。
これにはさすがにクラスメイト全員がやる気を喪失していたが、唯一先生だけはかなり熱が入っていた。
私はそれまで、自宅でMS-DOSの勉強をしていたので、この授業に手こずることはなかったが、他の仲間はMS-DOSなんか使ったことすらなかったから、コマンドの使い方を覚えるのにけっこう苦労していた。
その中でもバッチファイルの書き方をやったときは、授業が終わった後みんなで、
「あのさぁ、俺たちって何しにこの大学に入ったんだろうねぇ」
とか、「全く今時Windowsの授業やらないんだから話にならないよ」
などと文句ばかり言っていた。
そしてその後も、私たちがWindowsの基本的な使い方を教えてもらえることはなかった。
だから私たちは、ひたすらお互いにいろいろと教えあいながら、独学でWindowsの使い方を勉強したのである。
 2学期から始まったプログラミング言語もMS-DOSのTCCというコンパイラを使って行い、エディタはすべてVZを利用していたので、筑波技術短大の授業そのものが、この年まで完全にMS-DOSのカリキュラムで構成されていたのだ。
日本で唯一の視覚障害者専門の短期大学、しかも一応情報処理学科と名の付くところが本当に数年前までこんな状況だったのである。
さすがに次の年からこのカリキュラムは見直され、Windowsを利用した授業に切り替わったのだが、何せこの年までWindowsをやっていなかったつけが回ってきたらしく、うちの学校の教員は、Windowsのスクリーンリーダーについての知識をほとんど持ち合わせていない。
試しにうちの教員に
「Windowsのスクリーンリーダーの名前を4つあげてください」
と質問すると、答えられる人は1人いるかいないかといった漢字だったのだから・・・。
こんな具合なのだから、もちろん私は1学期ぐらいでやる気を喪失したのだが、2学期になってプログラムの授業が始まると、最初の頃だけは面白くてしばらくプログラミングに熱中した。
ところがこの後ちょっとばかり事件が発生し、パソコンに熱中する時間が無くなってしまうのだが・・・。
また、Unixの使い方の授業は、かなりためになったし面白かった。スクリプトを書いてテキスト処理をやったり、Unix上でマルチタスクを実行するときの方法などは、今でも役に立っている。
しかし、次の年からのカリキュラムでは、この一番役に立つ授業が無くなってしまったのだから残念だ。


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