空白の時間


 それは私が大学2年の8月、そろそろ夏休みが終わり、2学期が始まろうとしていたときのことだった。
友達の一人から、「ちょっと事情があって、しばらくの間学校を休学する」というメールが届いた。
この友達は私がよくいろいろと相談をしたり、長電話をしたり、教室で話し込んだりしていた仲良しの友達だった。
それでも他にも私には友達がいたから、
「まぁ何があったか知らないけど、とりあえず元気でな。出てくるときはメールでもくれよ。」
と返事をしただけで、「9月からちょっと寂しくなるな」程度にしか考えていなかった。
ところが夏休みが開けて学校に行ってみると、同じコースの友達の中で、これまた良くしゃべっていた小動物君がいないではないか。
もしかすると最初の日だからまだ筑波に戻ってきていないだけかと思ったのだが、先生に聞いてみると、
「彼も今月から事情があって休学です」
と言うではないか。
友達がその二人だけだったというわけではないのだが、他の人は私とは別のコースにおり、学校では毎日この二人と私の3人で行動していた。
だからこの二人がいなくなってしまったと言うことは、私はクラスの中でひとりぼっちになってしまったということに他ならなかった。
そしてこの状況に追い打ちをかけるように、1ヶ月後の10月に、彼女との破局が来たのである。
 本当にこのときばかりはどうしようかと思った。
学校に行っても話し相手がいない。家に帰ってきてももぬけの殻。
人と話すことが大好きな私にとって、この状況はとても耐えられるものではなかった。
 私は自分の心に空いてしまった大きな隙間を埋めるために、出会い系サイトを歩き回った。
ところが、文章を書くのが下手な上に視覚障害者の私が、なんどメールを送っても返事は来なかった。
そこで、自分からも掲示板にメール友達募集の公告を出してみたのだが、結果はほとんど変わらない。
本当にこのときはどうしたらいいか分からなかった。
 そこで考えついたのはメールマガジンの発行だった。
私は今までも、何度か出会い系サイトに行って、面白い経験をしたことがあったので、「視覚障害者出会い系サイト探検物語」という題名で、メールマガジンの発行を始めた。
すると今まで出会い系サイトで友達を募集していたとき以上に、いろいろな人からメールをもらえるようになって、一時期は友達らしき人までできた。
ところが、調子に乗って毎日のようにメールマガジンを発行していると、私の少ない経験だけでは2ヶ月と立たないうちにネタ切れになってしまった。
それに加えて、相変わらず出会いを求めての私の活動はうまくいかなかったこともあって、だんだんメールマガジンの発行も滞り、ついに2002年の1月後半には、ほとんどマガジン発行をやらないようになってしまっていた。

 この心の冬が開けたのは、その年の4月、仲良くしていた友達が戻ってきたことと、同じく4月に、悲しい事件が起きてしまい、別のコースの友達が一人になってしまったことで、研究室が同じだった私とそいつが話すようになったときのことだった。
つまり半年間、こんな寂しい状況が続いたのだった。
 もちろん学校以外ではこの半年間、BLPCの方で11月にイベントをやったり、2002年5月に行った宿泊講習会の計画をしたりしていたので、私はどうにかこの機関を乗り切れたのだと思う。


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