私とアルバイト


 私が最初にアルバイトらしいことをやったのは、高校3年の秋のことだった。
盲学校を卒業し、今は宇都宮市内の幼稚園で働いている先輩から、烏山町という小さな町が主催する、ボランティア講習会の講師をやって欲しいという話が来たのだ。
まぁ正確に言うならば、小学生の時には母の肩を揉んで、5分100円とかそういうことはやっていたけれど、まとまったお金を自分の仕事で稼いだのはこのときが初めてだった。
 このボランティア講習会は、烏山町の社会福祉事務所が毎年行っているもので、私が担当したのは「障害者自身の体験の離し」というところだった。
私を含めてこのとき3人の講師が来ていたが、他の人はすべて社会人だった。
これは高校生を対象としたものだったので、受講者と同じような年の私は、けっこう受けが良かった。
このときは参加者全員が、自分の好きな講師のところに行って話を聞くことになったのだが、私のところには20人近く来ていたと思う。
この日私が手にしたお金は3000円だったが、それよりも友達が増えたことの方が大きかったかも知れない。
ちなみに最初のバイトで稼いだお金は、当時の彼女Mへのプレゼント大に消えたか、もしくは彼女に会いに行くための交通費で消えたと思う。
 次にやったのは、歩行者ITSというシステムの実験の被験者だった。
このときは1日働いて8000円の給料をもらい、これまた当時の彼女Uへのプレゼント大になった。
とか書いているが、Uと一緒にやった仕事だったので、お互い自分の稼いだお金でプレゼントを買って交換したというのが本当のところだが・・・。
 このことがきっかけになって、私は教育方法開発センターの長岡先生と知り合うことができ、それ以来いろいろな実験の被験者の仕事が回ってくるようになった。
とあるOA機器メーカーのバリアフリー製品開発のテスターをやったり、大学院生の実験で、認知心理学のテストに協力したり、某家電メーカーのバリアフリーエアコンのリモコンの試作器を使ってみた利など、けっこう面白いものが多かった。
一番多くやったのは、やはり最初に行った歩行者ITSシステムという、カーナビゲーションの歩行者版の開発への協力だった。
東京まで行ったこともあったし、長野県の諏訪まで旅行に行ったこともあった。
 そのほかには、パソコンのインストールは何台もやったし、Webプログラミングの仕事をやらせてもらったこともあった。
 そして去年の10月の後半からは、長岡先生の研究補助のバイトを始めた。
このバイトが今までのバイトと違ったことは、今までのものがその日限りの単発の仕事だったのに対し、この仕事は毎週決まった日の決まった時間に出勤して行うと言うことだった。
これでやっと、私は一般の学生がやっているアルバイトらしいアルバイトを経験したことになる。
こういう仕事の良いところは、定期的に収入が入ると言うことにつきると思う。毎回決まった時間に出勤して仕事を終えるために、「今日はいくら稼いだな」とか、月の終わり頃になると「今月はいくらかせいだな」などと思えるのがとても嬉しかった。
今回バイトで稼いだお金は、すべて最新版のスクリーンリーダーの購入費で消えることになっているのだが、ともかくこの仕事はいろいろな意味で私を楽しませてくれた。


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