オーストラリア旅行体験レポート(4)
オーストラリアでの生活も四日目になったこの日は、さすがに前の晩良く寝ただけあって、気持ち良く目が覚めた。そして昨日と同じように下へ降りてホストママに挨拶した。そこまではいつものようであまり変わらなかったんだけど、ブレックファーストを食べている最中に事件は起こった。
ホストママとFM放送を聞きながらコーヒーを飲んでいると、突然電話の音がした。なぜだか知らないけど俺はそのとき変な予感がした。ホストママに
「誰からの電話」と聞くと、
「Mickeyのホストファミリーからよ」と言うではないか。
「何があったの」と言うと
「彼女が頭が痛くて起きられないらしい」と言うのだ。しかも熱も少しあるらしいと言う。多分ジャパニーズシックだから電話で少し日本語をしゃべれば直るんじゃないかと思ったんだけど、へたに電話して寝ていたらまずいと思って止めた。そしてホストママに
「他の人はこの事知ってるの?」ときいたら、
「学校に行ったら伝えておいて」と言われた。(後になって分かったんだけど、あのときの連絡はなぜか俺の家だけにしかこなかったらしい)
それからいつものようにベーコンライスを食べて学校へ行った。学校に行って最初に俺は、担当の英語の先生にさっきのことを伝えた。そしてあいつのお母さんにもそのことを伝えると
「あの子だから大丈夫でしょう。でも、あの子、発作起こってないでしょうね。」と言うから心配していると、しばらくしてからあいつはやってきた。でも教室には入ってこなかった。そのうちにこの日の授業が始まった。
この日の授業は、前半がオーストラリアの食べ物に付いて、後半がオーストラリアの伝統的な楽器「ディジュリードゥー」の話しや、オーストラリアのいろいろな植物についてだった。
前半は先生がオーストラリアの昔話をしながらいろいろな食べ物を持ってきて、それをみんなで少しずつ食べて、それに1から10の範囲で点数をつけると言うおもしろい授業だった。感想はというとまずい物もあったけど美味しい物もあった。中でも「アンズライクビスケット」という、日本で言えばピーナツ入りのビスケットのような物と、ティムタムというチョコビスケットはかなりうまかった。その他にベジマイトというかなりまずいビスケットと、変なゼリーの硬いような物(名前は難しいから忘れてしまった)を食べたんだけどはっきり言ってかなりまずかった。そしてまずい物を食った後に、いいタイミングで、一所に来ていた人が、日本の煎餅を持ってきてみんなに分けてくれた。さすがにこれはうまかった。ちなみにアメリカやイギリスの英語では、美味しいを「デリシャス」、まずいを「ナットデリシャス」などと言うらしいが、オーストラリアでは、美味しいを
「ヤミー」、まずいを
「ヤッキー」と言うらしい。
前半の授業が終わって、休み時間が始まってすぐ、俺の後ろで人の泣き声と、それを慰めているツアーコンダクターの先生の声が聞こえた。どうやらその人はホストファミリーの家で自分の言葉が通じないもどかしさと悔しさで泣いているらしかった。俺もホストファミリーに何かを言おうとして自分の言葉が通じないもどかしさを感じなかったわけではなかったので、少しでも元気に名ってほしかったので、席を立って慰めに行った。するとその人の周りには、みんな同じ気持ちだったんだろう、5・6人が集まってみんなでその人を励ましていた。俺も
「大丈夫ですよ、言葉は通じなくても、ホストファミリーは案外気持ちは良くわかっているはずですから。俺だって分かることのほうが少ないんですから。」と自分に言えるだけのことを言った。そんなこんなでみんなで励ましていると、ようやくその人も元気になってくれた。良かった。
後半はオーストラリアの伝統的な楽器「ディジュリードゥー」のテープを聞いて、詳しい説明をしてくれた。それから、オーストラリアのいろいろな変わった植物を持ってきて、それを触りながらの授業だった。
そのときに思った。しかし、オーストラリアには本当に変な植物があるんだなあ。たとえば、紙やすりのような葉っぱ(名前は多分「サウンドペーパーリーフ」だったかなあ)や、ボトルブラッシというその名のとおり本当にビンを洗えるのではないかと思うほど、ボトルブラッシにそっくりな植物、そして山火事がこないと種を外へ出すことのできないしょくぶつ(たびたびすいません、名前をまた忘れました)など本当にさまざまだった。
午前中の授業が終わって、午後はシドニー北部に在る盲学校を見学に行った。盲学校まではバスで1時間ぐらいはかかったと思う。
盲学校に着くと、校長先生が
「Hello everyone. Wellcome to thes school.」と出迎えてくれた。そして日本語を勉強しているせいとがいて、テーブルを囲んで日本語で少しだけ話した。でも、その人は、日本人と話すのが初めてだったらしく、かなり緊張して振るえていた。それから、学校に着いての点字のパンフレットを貰った。俺はそのパンフレットを貰って驚いた。なんと、そのパンフレットには、2級英語点字が使われていなかったのだ。その後学校の中を見学することになった。そこでまた俺は大変なことになってしまった。なんと!校長先生に手引きしていただくことになってしまった!どうしよう・・・。でも、校長先生の英語は比較的聞きやすくて助かった。
理科室・パソコン室・教室などと見学したが、オーストラリアの盲学校はなぜか日本に比べて段差が多いような気がした。校内を歩きながら校長先生に
「この学校では2級英語点字は教えないんですか?」と聞くと、先生は
「教えていますよ」と答えたので安心した。そして、理科室を見学したとき、パーキンスに紙が挟んであったので、なぜか
「My name is Tom. I live in Tochigi.」と書いてきた。
ここでちょっとオーストラリアの盲学校でのパソコン事情について書いてみたいと思う。現地の盲学校ではWindows95を使っていた。でも、音声環境では使えないらしく、使っているのは点訳の担当者と先生だけだった。そして、MS-DOSも在ったが、これも音声環境では使われていなかった。やはり点訳の担当者が使っているだけらしいのだ。これには一緒に行ったプログラマーのTさんも驚いていた。このときつくづく、案外日本ではパソコンの音声環境での利用が進んでいるんだなあと実感した。
校内の見学が終わった後、広い部屋に集まって歓迎セレモニーをやってくれた。そこで、向こうの生徒達が「浦島太郎」の劇を英語でやってくれた。日本語では何回も聞いたことがあったけど、英語で聞くとなんだか違う話のように聞こえて面白かった。
それから、日本語で「一週間」の替え歌を歌ってくれた。そんなに難しい歌ではなかったけど、とても嬉しかった。こんなに俺たちを歓迎してくれたことがとても嬉しかった。
セレモニーが終わり誰かが挨拶をしなくてはならないことになった。なぜか目立っていた俺はれいによって挨拶をしかも英語でしなくてはならないことになって困ってしまった。しょうがないからできる限りの英語で挨拶した。何を言ったかは緊張していてあまり覚えていないけど、ともかく
「すばらしい劇と、歌を本当に有難うございました。」と言うような事を言った。
学校を出発するとき、向こうの生徒がみんなで見送りをしてくれた。それから、バスで学校へ戻ったんだけど、なぜか帰りに救急車とパトカーを併せて3・4第も見た。
学校へ着くと、ホストファミリーが迎えに来てくれていた。そして、その日はなぜかエディーに手引きをしてもらった。しかし、オーストラリアの子どもと言うのはかなり親切だ。俺が困っているとすぐに飛んできて、さりげなく助けてくれる。その日も本当はホストママに手引きしてもらって車のところへ行くはずだったんだけど、誰かと話していたらしく、エディーが
「先に一所に車のところへ行こう」と言ってくれた。エディーは小さいのにこんなにでかい俺を良くつれて行ってくれるなあとまた感心した。
家に着くといつものようにホストパパがNHKニュースを録画しておいてくれた。それを見て、部屋に戻ったんだけど、かなり暇だったので、次の日の予定を見ていたら、「オールドシドニータウンで英語教室」となっていた。
「オールドシドニータウンって何だろう?」と思ったので、早速下へ降りて行って、ホストママに
「オールドシドニータウンってなに?」と聞くと、
「昔今のオーストラリア人が最初に来た場所よ」と教えてくれた。(後になって、俺のいんちき英語翻訳が分かって、本当は、イギリスから今のオーストラリア人が渡ってきたころのシドニーを再現したテーマパークだと言うことが分かった)。その後、ディナーの時間までホストママといろいろな話をした。なかでも面白かったのは、ペルー人だったホストパパがなぜ英語を話せるようになったかと言う話しだった。以下は俺のいんちき通訳によるそのときの会話である。
「なぜパパはペルー人だったのにあんなに英語が話せるの?」
「それはパパが21歳だったときにね、そのときのパパのガールフレンドがアメリカ人だったんだって。もちろん彼女は、アメリカ人だから英語しか話せなかったの、それでパパはスペイン語を忘れて一生懸命英語を勉強したらしいわよ」
「それじゃあ、ママと結婚したときはもう英語話せたの?」
「そうね、彼は今と同じくらい英語を話せたわ」
「それで、どうしてままはパパと知り合いになったの?」
「それはね、エルヤードが、ダンスパーティーで私に声をかけてきたのよ。」
ママはディナーを作りながら、上のような話のほかにいろいろと話をしてくれた。おかげで俺は退屈しないですんだ。
この日のディナーはフライドチキンとフライドポテトそして湯で人参だった。人参はただ茹でただけだったので、あまり美味しくなかったんだけど、フライドチキンとフライドポテトはさすが本場だけあってかなりうまかった。ディナーを食べながら、俺はみんなを笑わせようと昨日牧場であった話し(先生の頭を馬の頭と間違えた話し)やあいつが飛行機のなかでコーヒーミルクをドレッシングと間違えてサラダに掛けてしまった話をした。すると回りは大爆笑になった。その後、家族みんなで日本語のガイドブックや日本に着いて書いてある本を見ながら日本についての話をした。ここでまた俺は大変なことになった。それは、日本語のガイドブックを見て、パパやママが
「これを英語に訳すとどうなる?」などと難しい問題を出してくるのだ。
「まいったぞ!分からないぞ!どうしようかなあ…困ったなあ…もっと英語を勉強しとけば良かったなあ・・・。」そんなわけで冷や汗をかきながらなんとか問題に答えていた。そのうちに9時過ぎになったので、シャワーを浴びて寝た。
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