オーストラリア旅行体験レポート(6)


 オーストラリアでの生活も六日目になったこの日は、午前中が学校で英語教室、午後は近くのショッピングセンターへ買い物という日程だった。そして、マジールイングリッシュカレッチへ行くのはこの日が最後になっていた。
 ベーコンライスとコーヒーといういつもの朝ご飯を食べてから学校へ行くと、みんな結構最後の日だと意識しているらしく、気の合う仲間になった人同士が集まって
「明日は自由行動になってるけどなにするの?」とか、
「今日は最後だけど授業なにやるんだろう」などいろいろと話していた。
  この日は授業が始まると、最初から眼の見える人と眼の見えない人とに別れた。でも、授業が始まる前にちょっと変わったことがあった。なんとあいつMickeyのホストファミリーがあいつに手紙を書いたと言う。そして、それを先生が読み始めた。その手紙には大凡、次のようなことが書いてあった。
 (次の文は彼女の許可を得てここにご紹介します。なおOCRの認識精度が悪いため、手紙の内容をそのままご紹介することはできません)



 最初、マジールから全く目の見えない人のホストファミリーをやって欲しいと話があった時、簡単に
「Yes」と答えたもののその日が近ずくにつれ、段々と不安になってきました.
 
「全盲で」しかも
「英語」問題もある人をわが家で快適にすごさせてあげる事ができるだろうか・・等・不安は増すばかりでした。
  家族は反対にとてもクールで冷静で、まるで
 マージルの校長みたいでした.
Mickeyが到着する前の日などは、不安は極度に達していて、考える事も不安だらけなのです。
 「子供達に何をさせ、何をさせてはいけないか?」
「彼女はわが家が気に入るか?」
「どんな事をしてあげればいいのか?」
「食事の時はどうすればいいのか?」

 そして彼女がわが家の一員どなって1週間.なんて愛すべき女の子なのでしょう !
彼女はとてもおだやかで、冷静で、自信に満ちていて、そしてなんでも自分で出来て自立心のある、思いやりに溢れた女の子だったのです.
賞女は私の生活に
「豊かさ」を持って来てくれました.
*人々のきのトーンや口調を聞き分け
*ジョンソンのおもちゃの音や彼が出すステキなサウンドに耳を傾け
*私の料理の匂いをかぎ違った風味をかぎわける楽しみを感じ
*マジール英語学校の入口のコンクリートに匂いがあることも教えてくれた.
Mickey、彼女は私に人生に感謝することを教えてくれました.自宅のダイニングテーブルに座って彼女が夕食の時こぼさずに食べる姿や ポケモンのおもちゃで遊ぶ息子の
ジエソンの音を聞いて笑っている姿.なにげなくベッドメイクをして、洗濯物を
を取り出して…そんな彼女を見て、とてもハッピーになれたのです。
あなたのおかげで私は盲人にたいする認識や理解を沢山作る事ができました。
この1週間で、いつの日か、どのホームステイファミリーも自信を持って目の見えない人達を受け入れられるようになる事を願っています。
 Mickey、わが家に来てくれて有り難う。そしてこの街に…
   幸せを祈りながら


 なんと言うことなのでしょう!感謝すべきは私たちの方だと思っていたのに、ホストファミリーからこのような手紙が届くとは。人の事ながら
「この国に来てよかった」と思ってしまった。あいつも
「びっくりした、ちょー嬉しい」と言っていた。
  眼の見えないグループのその日の授業は、最後の日だということで思い出のカセットテープを作ろうという物だった。
 全員が1日1日の思い出をそれぞれ一人ずつ話した。(そこでなぜか俺が持って行ったテープレコーダーが役に立った。)この旅行は海外旅行に何度も行っている人にとってもやはり思い出深いものだったらしく、皆それぞれにいろいろなことを話した。初めて南の国のいろいろな動物に触れたこと、ホストファミリーの家で不味いご飯を食べたこと、海に入ってはしゃいだことなど、どれもが本当に新鮮な物だった。そんなわけで、これは前半だけでは半分ぐらいしか終わらず、後半にも続いた。(この時のテープは先生が
「皆さんのところにダビングして送りますから」と言っていたのに、まだ届かない)
 思い出のテープ作りが終わった後、今度は夜のディナーパーティーに向けて余興を考えた。
「やっぱり日本の歌を歌った方がいいよ」、
「やっぱりここまで来たんだから英語で歌った方がいいよ」などいろいろ話し合って結局
「幸せなら手を叩こう」を1番は英語で、2・3番は日本語で歌うことになった。しかし、英語の歌というのはかなり難しくて歌詞を覚えるのに2・30分はかかってしまった。そのうち別のクラスで勉強していた目の見える人たちのグループが加わり、ああでもないこうでもないと言いながらも何とか完成した。
  いよいよマジールイングリッシュカレッチでの最後の午後となり、みんなが待ちに待っていたショッピングセンターに行くことになった。
  ショッピングセンターに行く前から、俺とあいつは
「Iさんを捕まえよう!」と話し合っていた。現地に着いて、I3捕獲作戦に成功し、ツアーコンダクターの先生までも付き添ってくれ、俺達は、英語に不自由することなく、思いきり買い物をすることができた。
  最初に入ったのはなぜかおもちゃ屋だった。そこで、日本にはなかなか売っていないカンガルーの縫いぐるみをゲットし、逆さの世界地図、ラグビーボールのおもちゃなど、日本にはあまり無くて、オーストラリアでは全然珍しくない物を買った。あいつは、やっぱり女の子らしく 、化粧品の安い物や日本では珍しいアクセサリーを買うのに夢中になっていた。気がつくと、俺達はあまりにも一般的な物ばかりを買いすぎていた。そこで、なにかお見上げ的な物を探すと、そのショッピングセンターの中に、唯一一軒だけそれを売っている場所が見付かったので、とりあえずコアラのキーフォルダーやパズル、オーストラリアの絵はがきなどを買って、その後はアイスコーヒーを飲みながらゆっくりした。
 そこで、ツアーコンダクターの先生が通訳の難しさについてこんな事を話してくれた。
「通訳の人はなあ、たとえば外国人に鯉幟見せてThis is Koinoboriなんて言ったってダメなんや。通訳ってのは、鯉幟とは何なのかまで説明しなかったらあかんのや。しかもそれが同時通訳になると、長くなるからかなり難しいんや。先生の友達も同時通訳おるけど、同時通訳は、高い金貰ってもしょうがないんよ。あの人達は学会の一週間ぐらい前から 、必要な用語なんかを勉強しとるやろ、それでもって通訳のブース入ったら、いくらうまい人でもせいぜい1時間ぐらいしか仕事できん、頭がもたへんのや、だから、1時間で貰うお金は普通の人よりけた外れに多いんやけど、月に換算したら、決して多いわけじゃないわけや」
 それを聞いて俺は驚いた。実は俺も昔、同時通訳を目指したことがあった。給料が高いからと言う単純な理由だったんだけど、1週間も勉強すると思うと冷や汗がでてくる・・・。
  そんな話をしているうちに、俺はある無謀な計画を思い出した。それは、卒業旅行に普段からアマチュア無線を通じて話している中国の福州にある
「福州言語訓練職業学校」の日本語かの生徒と交流に行きたいと言う物だった。それを、ツアーコンダクターの先生に話すと、
「行くんやったら先生が何とか安くしてやる、でもなあ、中国やから安全なところに泊まらなきゃ危ないわ、少なくとも一人12万は越えるわ」と言われた。何とかしようと思ったんだけど、今回オーストラリアに来られたのも奇跡に近いことだったので、半分あきらめた。でも、中国行きたいなあ…何とかならないかなあ・・・。そんなことをしているうちに、集合時間になった。
  学校に戻ると、すでに気の早いホストファミリーが何人か来ていた。俺のホストファミリーは、30分ぐらいたってから来てくれた。でも、いつまでたってもYさんのホストファミリーがこなかった。Yさんは、俺に悲しそうな声で
「やっぱり私のホストファミリー来てないよ、トム、私って歓迎されてないのかもね。」と言っていたので、
「そんなこと無いと思いますよ、たぶん、またいつものように忙しいんじゃないですか。」と言うしかなかった。でも、Yさんは俺のホストファミリーとかなり仲良く話していたからその場は楽しく過ごせたかもしれない。
  そのうちに、俺は、腹が減ってきたので、
「I am very hungry」と言うと、ディナーを取りに行ってくれた。パーティーでのディナーはチャーハン、肉団子、野菜のソテーだった。ディナーの最中、なんだか俺の左隣で、聞き慣れない言葉が聞こえてきた。よく聞いてみると、それはスペイン語だった。そうか、考えてみるとそれもそのはず、俺のホストパパはスペイン語圏のペルー生まれだったっけ・・。それに、俺の左隣には、このツアーではスペイン語を話せることで有名な人が座っていた。
  パーティーもいよいよ終わり頃になって、俺達が何とかして練習した
「幸せなら手を叩こう」を歌う時間になった。英語の先生にリードして貰いながら、それでも何とか歌いきると、思っていたより好評だった。余興が終わると、次はマジールイングリッシュカレッチの校長先生による「冬季講習卒業証書授与式」があった。一人一人名前を呼ばれ、英語で書かれた(勿論か)卒業証書を受け取った。それから、ツアーコンダクターの先生、添乗員のIさんなどの話でパーティーが終わった。
  家に着くと、9時をすぎていたので、急いでシャワーを浴びてその日は明日に備えて早く寝た。


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